White Labyrinth


〜 12 〜

「ちょっと小腹が空いたかな。何か甘いものでも食べようか」
 ラムスはそう言うと、立ち上がって自らお茶の用意をしてくれた。ティングはようやく寝たきりから立ち上がって、短い時間ならば椅子に座っていることもできるようになっていた。
 二人は可憐な花が咲き誇る庭園へ出ると、ティングの寝起きしている部屋のすぐ前にある四阿(あずまや)へ移動した。
 とりとめのない話をしながら、ティングはラムスが今後自分をどうするつもりなのか、漠然とした不安を覚え始めていた。
 だが、話の合間にラムスが明るく言ったことに驚いた。
「それじゃあ、今は君の保護者はいないんだね? ――なら、私が君の保護者に立候補してもいいわけだ」
 ティングは驚いてカップへ向けていた視線を上げた。ラムスの笑顔に、ラムスが本気らしいと知って動揺した。
「でも、そんな……」
「無論、君を縛り付けるつもりはないよ。私自身、またいつどこへ赴任されるかも判らない身だし。ただ、もし良ければ私の家族として、私のうちを君の帰る場所にしてもらえないだろうか」
「そんなの! おれなんかには過ぎた好意です!」
 ティングは本気で焦った。この屋敷では、ティングと同じような年頃の子も立派に働いている。ティングなどよりずっと教養もあり、躾も行き届いて育ちの良さそうな彼らを目にしているのだ、たとえ形だけだとしてもラムスの家族になどなれる身分ではない。
「ティング」
 だが、ラムスの今までになく真剣な眼差しに、ティングはつい引き込まれた。
「君が何を気にしているのか、そうした機微に疎い私にも判るつもりだ。それについては、私がそれを望んでいるのだから気にするなとしか言えない。それに私もそうだし、君ももう少し大きくなったらきっと自分自身の家族を持つことになるだろう。時間は流れて行くし、人も変わっていく。だからこそ、心の拠り所となるものが必要だと思うんだ」
「心の…拠り所……?」
 不思議そうにラムスの言葉を繰り返すティングに、ラムスは頷いた。
「誰にでも、何らかの心の支えは必要だと思う。どんなに強い人間でもね。そこでなら安心して眠れる場所や、何でも言える相手や、そうしたものがないと生きていくのは辛いだろう。今の私にはそれがないんだ」
「ラムス様……」
「使用人は皆よくしてくれるし、信頼もしている。最初は彼らも父から与えられたものだという感じがしていたけど、今では彼らは大切な存在になっている。でも、彼らが大切なのと、私の心の支えとはまた別のものなんだ。彼らの好意はあくまでも使用人しとしてで、関係が確定してしまった今では家族のような関係にはなりえない…。
 私には兄弟が大勢いてね、その中で私はあまり出来の良い方ではなかった。父母は自分たちの身分相応の仕事があって忙しかったから、私はずっと使用人の手で育てられてきたんだ。兄弟は皆、跡目を争うライバルとして互いを見るし、姉妹達は同じ敷地内でも私たちとは別の屋敷で育てられたから、家族らしい親愛の情を持てるほど親密な関係を築くことができなかった」
(ああ、だから……)
 立派な屋敷を持ち、強国で貴族として将来を約束された恵まれた人物だと思っていたラムスの意外な素顔にティングは驚いた。と同時に、どこか納得もしていた。
 そうした淋しさを知っている彼だからこそ、見ず知らずどころか存在さえ危ういようなティングを探し、助けてくれたのだろう。ラムスの優しさの理由を知った気がした。
「死ぬほどの辛い目にあってきたティングからしたら、私の言うことなぞお笑い草かもしれないけど、私はずっと自分の家族が欲しかったんだ。楽しいことも、哀しいことも共に分かち合える相手が…。もし私が結婚して子どもが出来たら、そうした親になりたいと思う。でも妻は私の理想の相手を選ぶというわけにはいかないだろう。それに、私は血のつながりに関係なく大切に思える相手が欲しかった。――ずっとそんなことを思っていたけど、はっきりそう言葉で考えていたわけじゃないんだ。ティングに出会ってそう思った。君と、家族になりたいって」
「ラムス様……」
「君はこれから、何でもやりたいことをやってみればいい。仕事を覚えたければ良いところを探してあげるし、勉強したければ学校へ行かせてあげるし私にわかることは教えてあげる。そうして出会った人や、見聞きしたことを、私の元へ帰ってきて教えてくれないだろうか」
 言われたことがあんまり嬉しかったので、ティングは胸が詰まってしまった。だから返事ができなかった。
 迷いもあった。
 ――何故自分なのだろう。
 心優しいラムスのことだから、酷い状態のティングを介抱しているうちに、ティングを保護しなければという義務感が生じてしまったのかもしれない。
(それでも)
 これは運命なのだと思いたかった。実際、ある意味これは運命だったのだろう。
 ラムスの申し出に、ティングが断る理由は何もなかった。むしろ、そうしてさしのべられた手を無碍に払いのけたくはなかった。
 だが、即答は避けた。
「あんまり突然で……何て言っていいのか……。とても嬉しいんですけど、しばらく考えさせてもらえませんか?」
 ラムスは少しばかり残念そうな顔をしたが、「わかったよ」と頷いた。
「大事なことだからね、納得いくまで考えてみるといい。もし何か聞きたいことがあったら、いつでも遠慮なくきいておくれ」
 あくまでも優しいラムスに、ティングの胸がツキンと痛んだ。


 それから数日の間、穏やかな日々が続いた。
 戦況は日々激しく変化しているようで、ラムスは外出していることが多くなった。
 ラムスはザビオンの配下としてこの地を平定する任を与えられていたが、同時に後陣としてすぐさま援護出兵できるよう、戦況の情報を得つつ兵を鍛えたり必要な物資を整えたりしている。そうして昨日、いよいよその兵から一団を戦地へ向かわせた。
 どうやら順調と思われていたレヴィス国の平定は、予想外の難関にぶつかっているらしかった。
 そうしたことを、ラムスはティングに包み隠さず話してくれた。
「ルミナスからレイセプトへ抜ける拠点の城が、どうしても落とせないんだ。そこを落とさず他を攻めることは地形的にまず不可能で、無理にやったとしても多くの犠牲が出るだろう。私としては何とかして話し合いをしたいんだが、向こうは必死で守っていて聞く耳を持ってくれない。このまま長期戦に持ち込めば降参するかもしれないが、一体どれほど先のことになるか……。こうしている間にも他国が攻めてくるかもしれない。レヴィスは強大になったとはいえ、大陸全体からしたら中堅どころの国だ。まだ不安定だし、攻め入る隙は多い。このまま膠着状態が続くと、更に多くの国を巻き込んだ大戦争が始まってしまうかもしれない」
 ラムスの顔は苦渋に満ちていた。
「何とかして彼らを納得させられさえしたら……」
 そのことのために東奔西走していたのだろう、ほんの数日でラムスは大分やつれてしまっていた。
 どうにかしてラムスの心配事を取り除いてあげたいと思うが、ティングに出来るのはそうして話を聞いてあげることしかなかった。


 ――このとき既にティングの上で、更なる大きな運命の輪が回ろうとしていた。


 ラムスの元で二ヶ月ほどの日々が過ぎた。ティングの躰はほぼ回復し、今ではティングは屋敷内の手伝いをしながら手の空いている者を見つけては文字の読み書きや算術などを教わっていた。
 幸福な日々だった。しかし、どこか不安を孕んだ幸せだった。
 ある日、屋敷の門扉を蹴破るようにして一台の立派な馬車がやってきた。たまたま庭いじりをしていたティングは、馬車から尊大な態度で降り立った男を目にし、驚きと反射的に湧いた恐怖で心臓が鷲掴みにされるような錯覚を覚えた。
 忘れもしない――陽の下で見るのは初めてだが、見紛うはずもない、黒々とした口髭を持つあの顔は、確かにザビオン男爵だった。
 男は案内も待たずに連れてきた共を従え、勝手に屋敷へ入っていった。
(あいつが何のためにここへ……)
 男の姿が視界から消えると、ティングはようやく驚愕から覚めて疑問に思った。いくら上司といえど、あんなふうに大急ぎで自らやってくるなど、普通に考えたらありえないことではないだろうか。
(何か良くないことが起こるんじゃないか?)
 どうしても悪いことばかり思い浮かんでしまう。
 気になって仕事どころではなくなったティングは、いけないことだと知りつつ、そっとザビオンが通されるであろう居間へ向かった。
「そんな!」
 ラムスの珍しい怒声に、ティングはびくっとした。
「いくら貴方の頼みでも、それは聞き入れられません!」
「ほう。いつから君はこの儂にそんな口がきけるほど偉くなったのかね?」
 居間では既にラムスが対応し、激しい言い争いが起こっていた。
 ティングは最も見つかりにくそうな窓の外から部屋の様子を窺ったが、ラムス達は言い争いをしながら更に奥の部屋へ移動してしまい、あまり聞き取ることができなかった。だがそれ以前の言葉の断片から多少の内容は察せられた。
「丁度都合良く、生け贄にする子どももいるしな」
 ティングがこの窓辺に来たとき、確かにザビオンはそう口にした。
(おれのことだ!)
 消えた二人が一体何を話し合っているのか、ティングは気になって仕方がなかった。
 ラムスの好意をあてにして勝手にうろつくことは躊躇われ、ティングはそれ以上追求できずに大人しく元の花壇へ戻ったが、その後もずっと気になって仕方がなかった。
 ザビオンが、自分がここにいることを知っていたこともショックだった。まさかラムスが教えるはずもない、もしかするとザビオンは、自分がこうして意識を取り戻すことを予想してわざと逃がしたのかもしれない。狡猾なあの男のことだ、それは充分にありえることに思えた。
 ティングは、もし連れ戻されるのならそれに従おうと考えた。ラムスの立場を悪くしたくはない。
(ラムス様は悲しむだろうけど……)
 ともかくも、夜になったらラムスと二人の時間を持てる。その時に詳しい話を聞いてみよう。
 はやる気持ちを抑えながら、ティングは時が過ぎるのを待った。

 晩餐のとき、ラムスは何も話さなかった。これまでティングには何も隠し事をしたことのないラムスだ、きっと食事時に嫌な話は避けたのだろうとティングは考えた。
 だが、食後にラムスの私室でお茶を飲んでいるときにも、ラムスはザビオンのことは一言も話さず、まったく別のことばかり話していた。
「ラムス様。今日、昼にいらしていた方はどなたですか」
 ラムスがその話を隠そうとしているのを感じ取り、ティングは敢えてそれを訊ねた。
「知っていたのか……」
 ラムスは苦い顔をした。
「はい。たまたま庭に出ていたので」
「いや、大したことじゃないんだ。どうしても急ぎの用事があって訪ねられただけで」
「ラムス様」
 ティングはラムスの言葉を遮った。
「どうか隠さず話して下さい。それが例えおれにとって悪いことでも――いえ、悪いことならなおさらおれは本当のことを知りたいです」
 真剣な眼差しでラムスを見つめるティングに、ラムスは小さく嘆息した。
「わかった。私が悪かった。すべて君に話そう」
 ラムスが折れて、ティングはほっとして口元を綻ばせた。
「前に戦況がはかばかしくない話はしたね。どんな城でも必ず落とせないことはないと思うんだが、これがなかなか難しい。しかもこのままだと予想よりはるかに悪い状況になりそうなんだ。レヴィス国内もまだ不安定だと言ったけど、早速反乱が起こった。小さなものですぐ抑えられたものの、一つ起こればこの先も続けて起こるだろう。そうしたら外憂を抱えたまま内乱に振り回されることになる。
 頭を悩ませていたところへ、ある者がザビオン男爵の元へひとつの進言をしたんだ。――伝説の洞窟を訪ねてはどうか、と」
「伝説の洞窟……?」
 ティングは首を傾げた。
「それはどんなものなんですか?」
「私も知らないんだが、この地方では有名らしい。かなり信憑性の高いものらしくて、貴族もかなり高位の者達の間では事実として知られているそうだ」
 ――ここからそう遠くない山中に小さな洞窟がある。そこには何百年と生きてきた偉大な魔導師がいて、予言を得意とし、自分に有利な未来へと導く言葉を与えてくれるという。
「それが本当なら凄いじゃないですか!」
「ああ。でも誰にでも予言を与えてくれるならもっと知られているはずだ。そうでないのは、それだけのリスクがあるためと、予言を得るのにかなり後ろ暗い方法が必要なためなんだ」
「……生け贄……」
 思わず呟いたティングに、ラムスは音を立てて半ば椅子から立ち上がった。
「ティング、それは……」
「やっぱりそうなんですね」
 全てを悟ったように穏やかな顔をしたティングに、ラムスは焦った口調で言った。
「断るよ! 既に断っているんだ。男爵は私が断れないと思っているようだったが、そんなことを飲めるはずがない。第一、今じゃ君は男爵のモノなんかじゃない、私の家族なんだから!」
 叫ぶように言い募るラムスに、ティングは静かに「ありがとうございます」と言った。
「でもきっと、おれを庇ったらラムス様の立場が悪くなるでしょう?」
「そんなの……」
「おれ、戦争が始まってからずっとレヴィス国を恨んでました」
 ティングはラムスの言葉を遮って話した。
「この戦争をしかけたレヴィスさえなければって、この国の人達もみんな酷い人ばかりだって頭っから思い込んでました。でもルミナスにも悪い人はいたし、レヴィスにもこうしてラムス様のような方がいらした。ルミナスがなくなるのは嫌だけど……もしおれが生け贄になることで国が平定されて戦争が終わるんだったら……」
「そんなことにはさせない!」
 今度はラムスがティングを遮った。
「私はまだ君に話していないことがある。私の出生のことだ」
 おそらくラムス自身忘れたかっただろうことを、ラムスはティングを説得しようと必死の体で明かした。
「私は本当は、国王の息子なんだ」
 これにはティングも驚いて、おもわず息を飲んだ。
「国王とさる大貴族の娘との不義密通の子どもなんだ、私は。存在を公にはできない私を、国王である父は、自分に忠誠の篤いある貴族の養子として預けた。養父の息子としては小貴族の一人でしかないはずの私だが、私を母の違う本当の兄弟と思い込んでライバル視している兄弟達より、実ははるかに高位の職を与えられることになっている。国王には正室との間に跡継ぎがいるから、私が父の息子として父と話せる日は来ないだろうし、実の母上とは舞踏会で数回お姿を目にしただけで会話を交わしたことはないが、お会いするときの眼差しから二人が私を愛しく思って下さっているのは感じていた。私が国王に直訴すれば、おそらく聞き届けてもらえるだろう」
「でも、本当はラムス様はそうなさりたくないのでしょう?」
「今まで立場を明かさなかったのは、それによって母上の立場が悪くなると思ったからと、国内にいらぬ争憂の種を撒きたくなかったからだ。今後も明かすつもりはない。内密にお願いすれば公になることはないだろう」
「でも、まさかここから国都までご自身で行かれるのは無理でしょう? 直接お会いするようでないと、ラムス様の出生が周囲に知られてしまうんじゃ…」
「国都まで、馬を飛ばして半月ほどかかるだろう。病み上がりで辛いだろうが、ここに置いて行かれない。一緒に――」
「嫌です」
 ティングにはっきり拒絶され、ラムスは思わず身を固くして口をつぐんだ。
「そんなことさせられません。ラムス様がおれなんかのために立場を失うなんて、おれにはその方が耐えられない。まだこの世界が安定するには相当かかるでしょうし、今のような大事な時期に、ラムス様のような方がいなくなっちゃダメです」
「だが」
「今のおれにとって一番怖いことは、おれがラムス様のために何の役にも立てないことです。ラムス様がいらっしゃらなければ、もうとうになかったはずの命ですから……ラムス様のお役に立てるなら、どうなりと使ってやって下さい」
「ティング……」
「もしおれのことを少しでも気にかけて下さるんでしたら、どうかもっと力を付けて下さい。ザビオンなんかに負けないくらい力を持って、もっと住みやすい、ラムス様の優しさを感じとれるような、そんな国を作って下さい」
 そう言ったティングの双眸には、枉(ま)げようのない意志の強さが宿っていた。
 ラムスはがっくりと膝をついた。
「いいですね」
 ティングの問いに、ラムスはこみ上げるもの堪えるように掠れた声で「ああ」と頷いた。
「その伝説の洞窟に、本当にそんな生け贄を欲する大魔導師がいればいいんですけど。もしただの洞窟だったり、それとも洞窟も何もなかったり、実際に魔導師がいても大した力がなかったりしたら困りますね。ぜひとも噂通りのすごい魔導師に、すごい予言をしてもらわなくちゃ」
 ティングは明るくそう言うと、にっこり微笑んだ。
「……ティング……すまない……」
 そんなティングの手を取ると、ラムスはティングの小さな手をおし抱いて指先に口づけた。
 ラムスの温かな唇を感じ、ティングの躰を微かな電流が走った。
(ああ、ラムス様……優しくて美しくて、大切な…おれの……)
 ティングは、この一事だけで、どんな運命でも受け入れられる気がした。


 ティングが白装束を着せられ、馬上に縛られて伝説の洞窟に向かったのは、そのすぐ翌日のことだった。

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