〜 15 〜
部屋を移っても、リーンは相変わらず『外』を知らないままだった。
「…でさ、ミネアのやつがとんでもないことしてくれて」
リーンの世界は大部分がウィニーの話してくれる事柄で占められていて、リーン自身の話はまるでなかった。
ウィニーはよく家族の話をしてくれた。リーンには家族や兄弟というものが理解できなかったが、それはとても楽しそうに話すウィニーに聞いているリーンも楽しい気持ちになれた。
今日はウィニーの妹のミネアがいたずらをした話で、リーンは情報不足から情景があまり想像できないながらも笑いながら聞き入っていた。
「いいなあ。妹って面白そうだね。おれも妹が欲しいなあ」
リーンがそう言うと、ウィニーはおかしそうに笑った。
「なに言ってんだ、リーンにはお兄さんがいるじゃないか」
「おにいさん?」
「そうだよ。だから『リーン』なんだろう?」
リーンにとって衝撃の事実だった。
リーンはそれまで、ウィニーと自分が同じ生き物だということさえよく認識できていなかった。ただ自分は特別で、だからウィニー達のように自由に『外』を歩けないのだと考えていた。
なのに、自分にもウィニーと同じように兄弟がいるだなんて。
「おれ知らないよ。おにいさんなんて見たことない。ねえ、ウィニーは毎日妹と会ってるのに、なんでおれはおにいさんと会ったことないの?」
「それは、お前がリーンだから……」
「なんで? どうしてリーンだと会わないの?」
「だって、リーンってのはそういうものだから……」
要領を得ないウィニーの物言いにリーンは苛立った。
「わかんないよ。リーンって、おれの名前でしょう。ウィニーやミネアと何がちがうの?」
「…知らなかったのか、リーンは名前じゃないよ」
リーンは再度驚いて口をぽかんと開けた。
「名前じゃなかったら何? リーンっておれのことじゃないの?」
「リーンはお前だけど、お前以外にもリーンはいる」
ウィニーは言いづらそうにリーンから視線を逸らした。そんなウィニーにリーンは取り縋って訊ね続けた。
「おれ、一人じゃないの? リーンっていう仲間の生き物なの? ヒトとは違うの? リーンには親っていないの? ねえ、教えてよ!」
ウィニーは服を引っ張るリーンの手を離させようと、また目を向けた。その眼差しにはありありと嫌悪感が浮かんでいた。
「リーンは人じゃない。生き物としての分類は人だけど、生まれたときに人とは違うものになるんだ。だからお前はここにいて、親や兄弟とは会うことが出来ない」
ウィニーはそれだけ離せば充分だろうといった様子だが、リーンは納得できなかった。
「どうやっておれはリーンになったの? リーンじゃないものにもなれるの? リーンとちがうものになれば、おにいさんと会える?」
ウィニーは面倒そうに首を振った。
「そりゃムリだよ。リーンってのは生まれたときに決まるもので、リーンだったら一生リーンだし……」
「なんで? ヒトと同じいきものだったら、おれはヒトなんじゃないの? なんでリーンになったのかわかったら、リーンじゃなくなるやりかたもわかるんじゃない? リーンじゃダメなんだったら、おれ、リーンじゃなくなるようにするよ?」
「そんな、するって言ってできるもんじゃ……」
「なんでもいいよ、リーンじゃないものになる。ウィニーでもいい。ねえ、ウィニーはリーンじゃなかったの?」
「冗談じゃねえよ!」
その言葉にウィニーはいきなり怒りだした。
「オレはリーンなんかじゃねえ! ふざけんな!!」
リーンはびっくりして口を噤んだ。
ウィニーはまだ服の裾を掴んでいたリーンを力づくで押し退けると、リーンの部屋から出ていった。それをリーンは呆然として見送った。
リーンの胸の奥底から、今まで感じたことのないどす黒いものが沸き上がってくる。
――『リーン』って何?
翌日、ウィニーはいつも通りに食事を運んできた。昨日のことなどまるで思い出せないように何も変わりなく、リーンはほっとすると同時に腹が立った。
(ウィニーはいろいろ話してくれるけど、おれのしりたいことはちっとも教えてくれない。話したいことだけ話す)
自分に寄せられるウィニーの愛情が、決して無償の物ではないことをリーンは悟った。
(ウィニーはきっと、だいじなことは何もしらないんだ)
リーンはそう理解した。それはあながち間違いではなかった。
知っておくべき大切な多くの事柄をきちんと知りたいと、切実に思った。
しかしリーンがどんなに願っても、ウィニーから与えられる以上の情報は得られない。リーンはまずウィニーの知っていることをとことん聞き出すことにした。
それで初めて、人の世には職業に応じた階級というものがあることを知った。ウィニーははっきりとは言わなかったが、その中で自分は人とも認められない最下級の者だということを理解した。
(おれがそんなつまらないモノだから、おとうさんもおかあさんもおにいさんも、おれに会いに来てくれないんだ……)
哀しかった。だが涙は出なかった。
リーンが『リーン』になることを承諾した家族というのものを、リーンは少ない情報の欠片から感じとった。
リーンは聡い子だった。たったそれだけから、自分がリーンという生き物ではなく『リーン』というものにされたこと、自分の持つべき権利が不当に犯されていることを悟った。
夜、暗い空に星々の輝きを数えながら、リーンの心は落ち着かずざわめき続けた。
(おれはくやしい。くやしいということがわかった。これが『くやしい』という気持ち……)
あんなに慕って唯一絶対の存在であったウィニーのことさえ呪ってしまいそうだった。
そんなときだ。
―――…ーン………
「だれっ!?」
名前を呼ばれた気がして辺りを見回した。だが、何者の気配も感じられない。
――……ーン、リィ……
その声は窓の外、はるか遠くから聞こえてくるようで、リーンは必死で耳を澄ませたが、どうしてもその声が『リーン』と呼んでいるのかどうか確かめることが出来ない。
「なに? 聞こえないよ!」
苛立ちながら、開かないように鍵のかかった窓の桟をもどかしげに揺らす。そうこうする内に、やがて声は聞こえなくなった。
静寂の中、諦めきれずに長いこと聞き耳をたてていたリーンだが、やがて眠気に負けて窓の下へ崩れ落ちるように眠り込んだ。
与えられる物が少ないせいか、リーンは感覚が鋭い。
その日、いつもと違う足音が近づいてくるのに気づいてリーンは飛び上がった。ウィニー以外の人間と会えるかもしれないと思うと嬉しくてたまらなくなる。
めいっぱい期待しながら待つと、足音が扉の前で止まった。一体どんな人だろうとうきうきしていると、ガチャガチャと鍵の音がして扉が開いた。
現れたのは、ウィニーよりずっと年上の男だった。男は顔に大きな醜い痣があり、片方の目がつぶれていた。
その男をリーンは知っていた。ウィニーの前にリーンの世話をしていた男だった。
「久しぶりだな」
暗い表情に下卑た薄笑いを浮かべた男は、扉を閉めながら言った。
「感心に、ちゃんとオレのことを覚えてるようじゃねえか」
嫌なものを感じて男から遠ざかるように後じさるリーンへ、男は無遠慮に近寄ってきた。さして広くもない部屋に逃げ場はない。
男は簡単にリーンを捕まえると、醜い顔を近づけた。
「なあ、おい。お前のせいで、この通りの隻眼になっちまったよ。どう落とし前つけてくれる?」
リーンは男を怖いとは思わなかった。ただ男に掴まれた部分が不快で、頬にかかる息を気味悪く感じた。
「ケッ、相変わらず可愛げのねえガキだな!」
男はいきなりリーンを張り飛ばした。食事も運動も満足ではないリーンの小さな躰は、その衝撃にあっけなく倒される。
赤く腫れた頬を押さえることもせず、リーンはすぐさま起き上がって部屋の隅へ逃げようとした。男は素早くその足を掴むと、逆さにぶら下げるように持ち上げた。
必死に暴れて逃れようとするのを、腹へ膝蹴りされる。思わず呻き、吐きそうになったところを手を離して落とされ、痛みにとっさに躰を丸める。そんなリーンの上に男は容赦なく馬乗りになると、床に貼り付けるように両手を掴んで仰向かせた。
痛みにぼうっとしながらも、リーンは諦めず逃れようと身を捩った。その頬を何度となく殴られる。意識が薄れ、気づくと腕をベッドの足に固定されていた。
男はリーンの服を半ば破り捨てるように脱がせていく。
「いい様だな、小僧。この前は驚かせやがって」
男は嬉しそうに薄笑いを浮かべている。リーンは男が以前自分にした仕打ちを思い出し、痛む躰で出来る限り暴れたが、傷ついた子どもの抵抗など男にとって物の数ではなかった。
「魔導師も、ちゃんと術を習わないと大したこたぁ出来ねえんだってな。へへっ。お前のおかげでオレぁ散々な目にあったぜ?」
男はズボンの後ろから何やら取り出すと、リーンの後孔へ当てた。と、何やら冷たい物がぬるっとリーンの中へ入り込み、リーンはとっさにヒャッと悲鳴を上げた。それへ男は嬉しそうに品のない笑声をあげた。
抵抗を続けたリーンの息はすっかり上がっている。はぁはぁと荒い呼吸音が物の少ない部屋に響く。
男はリーンの後ろに指を差し込むと乱暴にかき回し始めた。
「アゥッ! い、いたっ……」
「ほぉう、おまえ、しゃべれるようになったのか? そうしてるとまるで人間様みたいだぜ?」
バカにするように言うと、男は指を増やしてズクッと荒々しく突っ込む。
リーンは男に声を聞かせたくないと必死で口を結んだが、指を三本、四本と増やされ、そこがピッと音を立てて裂けた途端、堪えきれずに苦鳴をあげた。
「ウアッ! …ック、いっ……ウウッ……」
「よぉしよし、我慢しないで泣きやがれ。グハハ! いい様だな、ああっ?」
男は明らかにリーンを傷つけることを楽しんでいた。
リーンのそこが熱を持ち、男の手が赤く染まる頃、男はついに我慢しきれないかのように下履きをずり下げて醜い肉塊を取り出した。
「今もっと啼かせてやるからな、まってろよ…」
「――ここで何してんだッ!?」
その時だ。鍵のしまっていなかった扉が開いて、ウィニーが姿を現した。
ウィニーは男とリーンの姿に驚いたように口を開けると一瞬絶句した。
「…あんた…。一体何やってるんだ!?」
「ナニってなぁ、野暮なこた言いっこなしだぜ?」
男はウィニーへ振り返ると、ヘッと下司な笑いを浮かべた。
「まだ使用前だったみてえで良かったぜ。おめえ、上手いことやりやがってよ? ある程度大きくなるまでって、待ち続けてようやくってな美味しいとこを、おめえみてえな青二才にかっさらわれてたまるもんか」
男の言葉にウィニーはカッと赤くなった。
「何を言ってるんだ! オレは貴様なんかとは違う、その子にはカーヌ家のリーンとしての扱いをしてきたさ!」
「ケッ、口だけならなんとでも言えるわな。ま、いいからそこで待ってろ」
あくまでも自分本位な男に、ウィニーはついに怒りを顕にした。
「今すぐリーンを離せ! やめろって言ってるんだ!」
ウィニーはリーンへ怒張を突き立てようとしていた男へ近づくと、肩を掴んで思いきり後方へ投げ飛ばした。
男はみっともなく下半身をむき出しにしたまま転がされて悲鳴を上げた。勢いあまって壁にぶつかり、呻きながら起きあがると足元で邪魔をしていた下履きをどうにか元通りに引き上げる。
「なにしやがんだ、青二才が!」
男も怒りを顕に怒鳴った。
「どうせそんな奴、生かしておいたってしょうもないだろうに。オレらなんか、リーンなんざ生まれてすぐ森へ遣りにいくのが常識だろ。ったく、金持ちの考えは判りゃしねえや。けど、どっちみちいらねえモンなんだしな、だったらオレ様が有効に使ってやろうってんだ、有難がられてもいいくらいだぜ」
「あっ、あんたは何てことを!」
欲望を隠しもしない男に、ウィニーの顔が見る間に怒りで赤みを増した。
「たとえリーンだって、嫌がることを無理矢理しようなんて、人として情けないと思わないのか!」
(ヒトとして……)
ウィニーの言葉に、リーンの言葉が再びズキンと痛んだ。
(わかった)
まだ繋がれたままの不自由な格好で男達を見上げながら、リーンはふいに理解した。
ウィニーはリーンを思いやるフリをしつつ、差別している。「人として」という言葉の「人」の中に、リーンは含まれていないのだ。
それは彼の罪ではないのだろう。彼なりにリーンを想ってくれているのは判る。だが、ウィニーの中で、リーンは『人』ではないのだ……。
もつれ合い争い続ける二人を、リーンはどこか遠い物のように感じながら見守っていた。
自分がどうなるのかは、彼ら次第。リーンは『人』ではないから、『人』に世話されて生きている以上、『人』の都合で左右される。
今も、男が勝てば男の欲望にさらされ、ウィニーが勝てば戒めを解かれるのだろう。どちらがより好ましいかなど無意味だった。そこにリーンの意志はないのだ。
リーンの前で繰り広げられる闘いは、体格的に劣るウィニーがやや不利な形勢だった。
(おれは、おれのやりたいことをしたい)
見開かれたリーンの瞳孔がスッと縮まる。リーンは彼らへ向けて、意志の力を解き放った。
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