White Labyrinth


〜 16 〜

 ざわめきがリーンを包んでいた。
 今まで見たことのない広い部屋に、やはり目にしたことがないほど大勢の人間がリーンを取り囲むように集まっている。落ち着かない空気の中、刺すような視線にリーンは急速に機嫌を損なっていった。
(なんだってこんなところに連れてこられたんだ!?)
 何故こんなに多くの人間が自分のことを見ているのか理解できず、リーンの苛立ちは募った。何の説明もなしに連れてこられたことにも腹が立つ。
 以前のリーンならば、そうしたことを感じることもなかったかもしれない。おそらくは見たことのない建物や人々に、ただただ驚き興奮するばかりだっただろう。
 だがリーンはもはや、自分が人間であることに気づいてしまった。自分と同じはずのものから自分ばかりが不利益を被る行為は、今のリーンにとって耐え難いことだった。そう感じとれるほどにリーンは成長していた。――幸か不幸かは判別しかねることだが――。
 だが、その憤りをどう周囲に伝えれば良いのかは未だ判らなかった。手段もそうだし、抗議するための語彙に関しても、まだまだリーンには判らないことだらけだったのだ。
 リーンは黙って耐えているしかなかった。いざとなったら力を発散させてやろうと身構えつつ、初めて見るあれこれを見回していた。
 リーンは、すり鉢状になった部屋の中心に立たせられている。周りの人間はリーンを十分に観察できるが、リーンは顔を上げて見回さないと周りを見ることができない。更に、一見して判らないが右の足首に足枷をかけられ、好きに歩き回ることさえできない。
 これだけでも耐え難く不愉快極まりない状況だが、やがて始められた話し合いのようなものに、リーンの機嫌はますます下降していった。
 リーンを抜きに進められる何やら不穏なその話は、いわゆる『裁判』というものだった。
 リーンには『刑法』だの『被告』や『原告』だのといった言葉はさっぱり判らなかったが、自分を襲った男のことでまずい立場に立たされたことだけは判った。どうやらここは『裁判所』という場所で、リーンは『殺人罪』という疑いをかけられているらしい。
 疑うという意味は判る。だが何故リーンのことをリーン自身に訊かないで、リーンの隣りに立つ見知らぬ男に訊いたり考えを話させたりしているのかはさっぱり判らない。この男とは、リーンは今日この場で初めて会ったはずだ。
 すぐ側にはウィニーもいて、彼に対しては『裁判長』達は普通に話している。リーンだけが無視されていた。
 ここにいるのに……。
 ――それは『リーン』が起こした初めての事件として、極めて社会の注目を浴びた裁判だった。
 『リーン』は普通、不要なものとしてまともに育てられることがない。ごくまれに、普通の人間とそれほど変わらない生活を送る者もいるようだが、よほど子ども好きで富裕な家庭に限られ、それも一生を屋敷内で過ごすことが前提となっていた。
 リーンは不吉な厄介者で、公にされるべきでない存在なのだ。
 それだけに訴訟に到るほど他者と接触する機会などなく、問題の起こりようがないはずだった。万が一何か起こったとしても、秘密裏に処理されて表沙汰になることはない。
 その法則が初めて覆されたのだ。
 知識としてしかリーンを知らない大多数の者にとって、リーンを目にできるだけでも希少な出来事に違いない。その上、言葉を理解して話もできる健康なリーンも希少であり、更にそれがあの名門カーヌ家のリーンときている。人々がその姿を見るために裁判所に押し掛けない方が、むしろ不思議というものだった。
 そんな訳で、まるで自分はその他大勢とは違ってちゃんと社会的興味でもって見学に来たのだというようなもっともらしい顔をした野次馬たちが裁判所に大勢詰めかけ、リーンを見下ろしていたのだった。
「……その時、被告は腕を縛られてベッドの足に繋がれていました。これがその時に使われた紐です」
 証拠物件が提示され、裁判官を始め関係者に一通り閲覧される。
「その時の状況を詳しく説明しますと、まず室内の状態ですが……」
 巨大な板が持ち出され、一人の男がそこへ図式を描いていく。リーンがどんなめにあったのか、まるで見てきたように説明されていくことに、リーンの胸の奥から再び憎悪が沸き上がった。
(なんでそんなことするんだ!?)
 屈辱の記憶を衆目に晒し、リーン自身のことは省みずに、殺人現場の検証としてむしろリーンを責めるかのような口調で説明を続ける。その時にリーンがされたことも、どんな格好をしていたかまで余すことなく語られ、リーンは手足がぶるぶる震えるのを感じた。
「先刻説明したとおり、被告は以前、被害者に対して魔導の波動力でもって傷害を負わせています。今回の件では再びその力を発揮し、被害者を死に至らしめたことは明白かと思われます」
 進行係とでもいうのか、男は用紙を片手に説明を終えた。
 もし他の場合にこのような形で裁判が行われたならば、あまりにも一方的すぎる説明に非難を浴びただろう。だが、これはリーンの裁判だ。被害者は『人』であり、『人』の中から加害者を出させたくないという勝手な思惑から、男が殺される前にリーンに成されていたことは説明されつつも倫理的には黙殺された。
 それでも公の場へリーンを引っぱり出した手前か、リーンに対してほんの数回ばかり質問が向けられた。だがそれは、「お前はリーンに相違ないな」といった礼儀に欠ける口調と内容のものや、「その時に縛られていたのは腕だけだったのか」といった、およそ口を挟む隙のほとんどない質疑に限られていた。
 大勢の人間が集まる法廷で、そうしたリーンのことを気遣う者は、リーンのすぐ近くに立つウィニーのみだった。だがウィニーはごく身分の低い下男にすぎず、貴族階級の者も少なからず見守るこの場で毅然として己の意を唱えることなど到底できなかった。リーンへの悪感情からリーンに不利な進行で進められていく裁判に、ただおろおろするばかりだ。
「リーンの元世話係だったサビーは身長約190ジェン、体重約105ガン。これはリーンの約三倍に相当します。サビーは部屋の壁に全身を強く打ちつけて死亡していますが、頭蓋骨が陥没していることからその際に頭部からぶつかったと考えられます。魔導の使用に際して、本人の能力は無論ですが、体力や年齢によっても与えることのできる力の割合が変化するということで、その辺りの詳しい説明は魔導師協会・副筆頭から解説されます」
 不快でつまらない裁判は、休憩を挟むことなく続けられた。まるで既にシナリオは出来上がっていて、終局がいつか判っているのだから余計な時間を取る必要はないとでもいうかのようだった。

 この場所でもっとも人々の注目を集めていたのはリーンだったが、その他にもリーンの周りにいる人々や、聴衆席に集まった著名人らの上にも注視が向けられていた。中でもヴァン・キルタ・リ=カーヌは多くの視線を浴びていたが、魔導師協会副筆頭の解説が始まると、いやでも人々はその存在を意識せずにいられなかった、
 ヴァンはその名の通りリーンを所属するカーヌ家の者で、魔導師協会の前筆頭であった。今は引退しているものの、彼の持つ影響力は未だ絶大だ。今回の事件がカーヌ家のあからさまな失態と世間に取られないよう、何らかの圧力を掛けてくるのは必定と目されていた。
 その圧力とは当然、これから語られる魔導に関する考察に他ならない。リーンの立場など知ったことではないが、それを所属するものとしてカーヌ家にとって不利な結果を生まないよう、方々に働きかけているはずだ。言い方を変えれば、今回の件でカーヌ家の実力が測られるといっても過言ではない。
 カーヌ家の当主などが秘かに裁判官達に袖の下を握らせているだろうことは周知の事実だった。そうしないことは考えられない。貴族達にとって、こうした事態においてしかるべき処置を行わないことは、即、家の弱体を表し、逆に恥ずべきことなのだ。
 偏見を常識とし、賄賂を美徳とする、この国はそうした歪んだ地盤の上に成り立っていた。
「既に周知のことながら、魔導の力というのは人間のほとんどが本来持ち得ているものであります。しかしその能力を効率よく引き出すためには、それなりの修行が必要です。また能力のみでなく、第一に気力、次いで体力も必要とされています。これらも修行の一貫に組み込まれおり、幼い頃から体系的な修行を行って初めて使用に耐える力と成り得るわけです。
 それらのことを鑑みて、まだ非力な少年であるリーンがサビーなる大の男を一瞬で殺傷さしめるだけの魔導力を持っているとは到底考えられません。リーンはその立場上、魔導の訓練どころか習慣的な運動さえろくに行っておりません。精神に到っても、一般的な子どもが義務として負っている読み書きさえできず、学ぶということを知らず、一定時間座して勉学することも知りません。日々無為な時を過ごすだけの存在のこの者が、それほどの集中力を持ち得ているとは考えられない。
 よって我々魔導師協会は、今回の事件に彼の魔導力が関与している可能性を完全否定致します」
 途端に聴衆席から激しいブーイングが飛ばされた。
「そんな言い訳を納得できるか!」
「なら他に誰が殺ったっていうんだ!」
 これへ副筆頭は『自分の役割は終わった』というように黙し、答弁席から与えられた自分の席へ引っ込んでしまった。
「静粛に! 静粛に!」
 裁判長が大きな槌の音をたてて場を鎮めようとするが、なかなか収まらない。無理矢理に進行させて人々の関心を逸らすしかないとの考えか、騒ぎの中を戸惑ったふうに資料を抱えた検察側が呼ばれ、部屋の中央へ立った。
 魔導師協会の出した結論を元に再び状況証拠からの検察が始まると、それを聞きたいという興味から聴衆席も一応は大人しくなった。だが、彼らの話は欺瞞に満ち、その偽りはあまりにも予想通りで聴衆の意に添わないものばかりだった。
 次に出された結論は、その場にいたのが殺されたサビーとリーンの他にウィニーだけであったことから、サビーを殺してしまったウィニーが何らかの重要な事実を隠匿しているのではという疑いだった。
 疑いを掛けられたウィニーは大慌てで全面否定した。まさか自分に疑いがかかるとは、この単純な青年はまるで考えていなかったらしい。真っ青になって否定しながら、彼はいかにリーンが普通でないかを必死で語り始めた。
 先ほどまでリーンの身を案じていた好青年が、今は保身のためにリーンを蹴落とそうとする。人々はそれを興味津々の体で見守った。
 リーンはウィニーの変心をすんなり受けとめていた。以前ウィニーにリーンのことを訊ねた時、ウィニーの中にリーンへの蔑みの気持ちがあることは判っていた。あからさまに敵意を向けられ傷つかないわけはなかったが、リーンは最初からウィニーをあてにしていなかった。
 リーンにとって、今日という日は自分をとりまく偏見を具体的に見せつけられた、忘れられない日となった。
 ――そうしてもう一つ、リーンにとって忘れられない出来事があった。
 多くの聴衆が押し掛け重大事件と騒がれたこの事件も、単に一人の元下男が死んだという、社会的にはほとんど影響力を持たないものだった。結果はすぐに出た。
 裁判の結果、誰も罪に問われることはなかった。様々な要素が絡み合った偶然の事故だったのだろう、との結果が出されたのだ。
 『争いあっていた時のウィニーとサビーの互いの力と、微力なリーンの魔導力とが、偶然にそういう形で働いてサビーの身体を壁へ激突させたのだろう』。誰にも殺意はなく、打ち所が悪かっただけの事故であるという何ともいい加減な結論に、広い室内はブーイングの嵐が吹き荒れた。
 リーンは思わず両手で耳を塞いだ。頭痛がするほど響きわたる人々の声に、苦痛さえ感じた。
 無理矢理法廷を閉じようと、裁判長が必死で叩く槌の音さえ聞こえない。面白がってヤジを飛ばす者、本気で怒り狂って怒鳴り散らす者……事態の収拾はもはや不可能に思われた。
 その時――聴衆席から一段低まったリーンの立つ、一階席の後ろにある扉がバーンと勢い良く開かれた。
「――リーン!!」
 そこに眩しいほどの笑顔を浮かべた一人の少年が立っていた。
 少年は背後に付き人らしい大人を控えさせていたが、止めようとする彼らを振り払って室内へ入り込むと、リーンの姿を目にして迷うことな駆け寄ってきた。
「リーン! 会いたかった!!」
「……あ……」
 突然ぎゅっと抱きつかれて、リーンは戸惑った。
 ここがどういった場所で今何が行われていたか、少年には判らないのだろうか。そんなはずはないと思うが、もはや少年にはリーンの姿しか目に入っていないようだった。
「ああ、やっと会えたね。君のことを知ってから、ずっと会いたいと思ってたんだ……」
 感激したように満面の笑みを浮かべる少年の顔は、無垢な輝きに満ちていた。
「……!」
 少年の顔を間近で目にし、リーンは驚愕した。彼はリーンと寸分違わぬ容貌をしていたのだ。
 リーンは茫然として言葉を忘れてしまった。自分そっくりでありながら自分自身ではあり得ない少年の登場に、リーンは戦慄した。
 こうして向き合うと、二人はまるで鏡に映したようだった。それでいながら彼と自分はあまりにも違う人間であることを、説明されなくともリーンは理解した。
 彼が自分を地獄へ突き落とした天使――。

 それがリーンと双子の兄・ギリアークとの出会いだった。

(補足:単位はcmやkgに対して1.5倍と考えてください。)

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