〜 18 〜
リーンと父母との体面はなかなか実現しなかった。理由は様々だ。
「お父上はお仕事がお忙しく……」
「お母上はご気分がすぐれず……」
カーヌ家の秘書など遣いの者が伝えてくる言葉に、リーンは失望し続けた。
自分が歓迎されていないことはわかっていたが、あからさまに避けられるのは辛い。
表面だけのことでも家族の一員として迎えられたことは嬉しかった。世間の目を気にして仕方なく受け入れただけなのだから、自分が思うように事が進まないのも覚悟していた。
だが、どこかで期待もしていたのだ。
今まで顔を見せたことのない両親だが、会いさえすれば、ギリアークのように溢れんばかりの愛情を示してくれるかも知れない。ギリアークとそっくりな自分を一目見さえすれば、今まで捨て置いたことを後悔してくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いたままリーンは放っておかれた。
そんなリーンの元をギリアークがしばしば訪れて慰めた。
「父様達も緊張してるんだよ。心の準備が出来るまで、もう少し待ってあげて」
リーンは悄然としながら、ギリアークの言葉に頷くのだった。
本来なら両親への対面が済んでから祖父の元へ行く予定だったが、かなり日が経ってしまいそれ以上延期させたくないという祖父の希望で、リーンと魔導師協会前筆頭である祖父ヴァン・キルタ・リ=カーヌとの面会予定が組まれた。
下女達の手伝いで位の高い人物と会うための正装を済ますと、最後にリーンは忘れずにギリアークからもらった守り石を胸から下げた。
守り石はリーンに心の平安をもたらした。父母に会えない哀しみや、教師について世の仕組みを習う上で理解できない苦しみに苛立ったとき、石を握るとざわめいた気分がスーッと収まっていった。
貴族社会に於いて男子はよほどの悪天候でないかぎりウマで行動するのが習わしだが、まだ一人でウマに乗れないリーンは、祖父が用意してくれた二頭のウマが引く車に乗って祖父の屋敷へ向かった。
ヴァン・キルタ・リ=カーヌは表向き引退しているが、実質的には未だカーヌ家を束ねている現役の当主だった。一般的な貴族達が常識としている儀礼をよしとしない彼は、勿体ぶった前触れは省き、到着したリーンを直ぐさま自分のいる居間へと通した。
ヴァンは裁判の際にリーンの姿を目にしているが、リーンは聴衆席にいた人々のことなど見ている余裕はなかった。祖父の存在も、あの場にその祖父がいたことも後で知った。
初めて会う祖父にリーンは激しく緊張した。高鳴る動悸を抑えるために、胸元の石を握り込む。
自分の体温で石が温もっていくと、まるで石がリーンの強張りを吸い取ってくれたかのように気持ちが軽くなった。
案内の執事に促され、リーンは祖父の待つ部屋へ足を踏み入れた。
大きな窓へ薄い布をかけて少し暗めに明るさを調整した室内で、ヴァンは大きなソファにゆったりと身を任せて煙管をくゆらせていた。周囲の壁は一カ所暖炉になっている他、ほとんどが書棚だった。ぎっしり詰め込まれた書籍の他にも、室内にはところ狭しと書物が積み重ねられている。清潔感はあるが広さの割に閉塞感のあるその部屋を、リーンは失礼でないよう身を強張らせつつも見回さずにはいられなかった。
「こちらへ来なさい」
ヴァンは深い声の持ち主だった。暖かみはあるが威厳あるその声に、リーンは畏まって頷くと歩を進めた。
「固くならずとも良い。そこへ腰掛けなさい」
「はい」
指し示された、ヴァンと向かいのソファへ座る。ソファは柔らかくリーンを受けとめ、過剰でない程度に弾力のある皮の感触は気持ちが良かった。
そこはまさに、大人物を思わせる部屋だった。質実剛健という言葉が似合いそうな、豪華でありながら必要に満ちた空間だ。これを知ると、初めてリーンの部屋を訪れたギリアークが驚き躊躇うような顔をしたのも判るような気がした。
自分の暮らすあの部屋は、確かに調度品こそ豪華だが、どれもこれも寄せ集めに過ぎない。統一性もなければ、部屋の主を感じさせる何物も持たない。
部屋一つで自分の立場を突きつけられた気がし、リーンは居住まりの悪さと悔しさを感じた。
「初めてお目にかかります」
リーンは習った礼儀通りの礼をした。本来ならその後続けて名乗るものだが、リーンには名乗るべき名がない。それが悔しく哀しくて、リーンはギュッと唇を引き結んだ。
ヴァンはそんなリーンを難しい顔で見つめながら、しばらく沈黙していた。
が、突然口を開いたかと思うと言った。
「――お前はグラシアスじゃな」
「……は?」
意味が分からず、思わず聞き返す。そんなリーンに頓着せず、ヴァンは言った。
「お前さんの名じゃよ。……ふむ。大層な名じゃ。重々しく巨大なものを感じさせる。目で見えるお前さんはそれほど大層なものに見えないのじゃが、限りある人の身で分不相応とは決めつけられぬし…。名という物も運命と同じく違え難いものじゃて、どんな名を与えられようと仕方あるまい」
ヴァンの言葉はリーンにはさっぱり理解できなかった。だがふと、この人物は魔導の大家なのだと思い至る。常人には判らないことが、この人には見えているのかも知れない。
そう考えると妙に納得できるような気がした。
「これからお前の名は『グラシアス・リ=カーヌ』じゃ。良いな」
「はいっ、有難うございます!」
――俺の名前…!!
リーンはこれでようやく『リーン』ではなくなったのだ。
リーン改めグラシアスは、初めて笑みを見せて祖父へ頭を下げた。
「儂が礼を言われる筋合いのことではないよ。儂は単に天が与えたお前さんの性質を読んで、それを名として形にしただけなのじゃから」
「はぁ……でも、嬉しいので」
やはり自分の名前は魔導の法則から与えられたものなのかと納得しながら、グラシアスは再び頭を下げた。
名が付けられたところで、女中が茶器を運んできた。腰を落ち着けての会話が始められた。
「ところであの、一つ気になるのですが」
グラシアスは気遣いということがよく判らない。気になったことを遠慮なく口にした。
「名前のことじゃろう?」
グラシアスが言うと、ヴァンは途端にニヤリと悪戯そうな顔になった。
「はい。俺もギリアークも、名前に『リ=カーヌ』とつきます。お祖父様もそうですが、他の親族の方々は、皆ほとんどがただ『カーヌ』となっていて、『リ』の音はつかないようですけど……」
「それは儂らが双子で生まれているからじゃよ」
グラシアスにとって衝撃的な言葉を吐くと、ヴァンは面白そうに笑った。
「お前はなかなか賢い子じゃな。よくそんな細かいことに気づいたのぅ」
「ずっと名前のことが気になっていたので。両親とギリアークが違うのにお祖父様が同じなのは何でだろう、と。家督のことなどで何か意味のあることなら、俺にはつかないはずですから」
「なるほどな」
ヴァンは満足そうに大きく頷いた。
「家によっては家督を相続する際に名を改めたり、後継者となるべき者に不規則にある名を与えたりすることもあるからの。これは実は、知っているものはごくごく少数という事柄なのじゃが――カーヌ家のリーンは、余所のリーンとは違うのじゃよ」
ヴァンの言葉にグラシアスは眉を寄せた。
「ま、詳しくはこの国が形成されるに到った根底に関わる旧い昔のことじゃから、儂にも確かなことは言えないが。どうやら『リーン』という制度を作ったのは、このカーヌ家が始まりらしい」
「エッ!」
自分のようなものを創り出したのが、よりによって自分の祖先だという衝撃の事実に、グラシアスは思わず声をあげた。
ヴァンは自分の知っている限りのことを話した。
――昔々、自分たち人間はこことは違う遠い星からやってきたと言われていること。遥かな故郷は既に消失したと伝えられ、そこから逃げ延びてきた祖先達が故郷と似てはいるがずっと過酷な環境のこの土地で非常に苦労してきたこと。風土に慣れないせいか奇形児が続出し、その存在に脅かされるようになっていったこと……。
「旧い言い伝えに過ぎないがな、全てが偽りではないじゃろう。遠い昔に於いても、カーヌ家は人々のリーダー的存在じゃったという。そんな彼らが必要に迫られて、『リーン』という怪物を隔離する制度を作った。これは仕方のないことじゃが、必要のなくなった現在ではどうにかして排除せねばならぬ問題でもある。あまりに根強く人々の間に残ってしまった風習じゃから、完全に払拭するためには多くの困難に立ち向かわねばならないじゃろう。――が、お主ならばできるな?」
ヴァンは真摯な眼差しでグラシアスを凝視した。幾ばくかの畏怖を感じつつ、グラシアスはその視線を受けとめて力強く頷いた。
ふっとヴァンの表情が緩んだ。
「お前はいい子だな」
その言葉に、思わずグラシアスは目頭が熱くなった。そんな言葉をかけられたのは生まれてのことだった。
「儂に出来なかったことを託そうというのも酷な話じゃが、いずれは誰かがやらねばならん。お前ならば途中で諦めることはないじゃろう」
そう言うと、ヴァンは少し遠い目をした。
「儂もな、実を言うとリーンとして生まれたんじゃよ。一緒に生まれた兄が病弱で一年と生きずに死んでしまったために、リーンとしてではなく跡継ぎとして育てられたがの。そうなっても付けられた名は変わらない。何故自分の名が家族と違うのかを知ったとき、それはショックでな。しばらくは物をよく食べられないほどじゃった。そうして自分は人より頑張らねばならんのじゃと、がむしゃらに勉強してなぁ。
カーヌ家の多くの者は、人より強い魔導力を持つ。特に家督を継ぐ者は強力な力を持って生まれることが多いそうじゃ。儂はそのことも聞かされて、学業だけでなく魔導の勉強も頑張った。そうして今の地位を手に入れたわけじゃが、それでもリーンというものをなくすことは出来なかった…」
祖父が感じたであろう憤りをグラシアスは感じた。必要のないものならば、どうしてなくならないのだろう。決して気持ちの良いことではないというのに。
「統計的に見ると、双子の成長率は今でも他の子どもに比べてかなり低いらしい。そうしたことも何か関係があるのかも知らんがの。――これは内緒の話なんじゃが……」
ヴァンが声を低くするのへ、グラシアスはつられてヴァンへ顔を寄せた。
「調べられる範囲で調べてみたところ、双子で生まれた二人のうち、リーンでない者よりリーンの方がずっとタフで優秀なことが多いらしい」
グラシアスは目を丸くした。
「それでどうして差別されるんだ!?」
「さあて、どうしてじゃろうな。何事も過ぎたるは及ばざるが如しということかもしれん」
納得がいかず、グラシアスは憮然とする。そんな彼に、ヴァンは薄く微笑んだ。
「ところでグラシアスよ。お前は今、一体誰に勉強や礼儀作法を習っているのかね?」
ヴァンがふいに訊ねた。
「父の選んでくれた家庭教師達ですが……」
どうしてそんなことを聞くのか判らない。礼儀作法で何かおかしなところでもあっただろうか。
ウィニーに教えられた言葉遣いは完全には抜けきらず、まだときどきぞんざいな言葉が飛び出してしまうが、概ねそれほどおかしくはないはずだ。教えられたことに問題さえなければ…。
「そうか。ちと幾つか質問したいのじゃが、判らなければそう言いなさい」
「…はい」
(何やら含みのある言い方だな)
気にはなったが従った。少し話す内に、グラシアスはヴァンに対して好感と信頼を持ち始めていた。
ヴァンの質問は、歴史や文学や計算など、勉強に関するものだった。半分は答えられたが、半分は判らなかった。
答えられなかった力学の質問に対して、ヴァンの解説を交えた解答を聞かされた。次いで似たような例題を出されると、今度はすぐ答えることができた。そうしたことを何度か繰り返された。
「……なるほどな。大分わかってきた」
どうやら何かを試されているらしい。ヴァンの知りたいことが何なのか判然とはしなかったが、グラシアスはこう言われた。
「グラシアス。お前は家庭教師よりも学校へ行った方が良いかも知れんな」
「学校、ですか?」
初めて聞く言葉だった。グラシアスは『学校』を知らなかった。
「それと」
いきなり何かの気配を感じ、神経が総毛立った。飛び上がるように一瞬で立ち上がると、その勢いで振り上げた腕で見えない障壁を作り上げる。
何かが跳ね返って飛んでいったとみるや、暖炉の上にあった置物がガシャンと不快な音をたてて壊れた。
「ふむ。魔導の方も学ばんといかんようじゃな」
グラシアスの持つ魔導力がどれほどのものか試したのだ。
「おれに魔導師になれってことですか?」
「いやいや。確かに普通の者が魔導師になろうと考えたらごく幼い頃から特別な訓練を受けねばならんが、お前の場合はちと違う。元々の素質が大きすぎて扱いが少々厄介なようじゃ。引き出して使うための訓練ではなく、抑えるための訓練が必要じゃろうと言うておるのじゃよ」
そう言われ、グラシアスは何とも言えない面持ちで自分の両掌を見つめた。
(それはつまり、普通ならば訓練しなければ得られないはずの魔導力を、俺は生まれながらに持っていると……?)
それは誇らしく感じると同時に、例の裁判のことが思い浮かんで、何やら不快な気もした。
(それならば、あれは……)
重い不安がじわじわと湧いてくる。ヴァンはグラシアスの持った疑問に気づいたかもしれないが、それへ何も言いはしなかった。
代わりにこれからのことをあれこれ指示された。魔導はヴァンが教えてくれることになった。カーヌ家の当主としてギリアークも幼少の頃から魔導を習っていて、そうした者のための特別な塾もあるのだという。だが当分は、グラシアスは祖父の元へ通って修行することになった。
学校に関してもヴァンが全て手配してくれるという。断る理由もないので有り難く受けておいた。もっとも何の力も持たないグラシアスに断ることなどできるはずがないのだが。
また、カーヌ家の話も聞かされた。歴史の創生から現在までの、主に国に対する功績等についてで、いつの時代に先祖の誰が何の賞を得ただの、爵位を与えられただのという話は、はっきり言って退屈極まりなかった。
グラシアスには対して興味のないことで、知識欲の旺盛な彼にして初めて話を聞くことに苦痛に感じた。
「こんな話は退屈じゃろうが、自分に関わることなのだから覚えておきなさい」
そう言われて、仕方なく拝聴した。
ヴァンが話し終えた途端に、グラシアスは欠伸をもらした。ヴァンは苦笑しつつ今の話に関して幾つか質問し、ちゃんと覚えていたことに満足そうに頷いた。
どうやらヴァンはリーンを気に入ってくれたようだった。
「勉強に関することだけでなく、家のことでもいい、何か気になることがあったら相談に来なさい。それとグラシアスよ、与えられた物とはいえお前はあの家の主なのだから、一事が万事自分の思うようにやりなさい。家を持つということは、同時にそうする義務も背負っているのじゃよ」
グラシアスには慣れない考え方で難しかったが、言われたことの意味は理解できた。グラシアスは厳粛な気持ちで頷きながら、ふいにそのことが閃いた。
(使用人を減らそう!)
人が大勢自分の周りにいるとどうも調子が狂う。心の内が判らない者を身近に置いておくのは不愉快な気分がした。必要最小限を残して、全て解雇することを決意した。
グラシアスにはその後も人嫌いの傾向があるが、この時からその兆候が現れていたようだった。
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