〜 2 〜
準備を終えた彼らは、洞窟に入るための陣形をとった。
入口に二人を残し、先行きのために前を二人が松明を持って進み、最後尾にも一人が松明を持って続く。その間には、少年を挟むように二人が並び、その後ろへ足首まで覆う不思議な長衣を着た男が、そうして壮年の男とその警備らしき者とが続く。
少年をしきりと気にかけていた例の青年は、松明を持って前を行く一人だった。これだと責任者らしき壮年の男を人質にするなどというわけにもいかない。青年は悔しそうに、ようやく諦めの色を見せた。
洞穴の広さは縦横とも大人三人分の身長ほどで、それほど大きくはない。だが、ここにかの有名な魔導使いがいるかと考えると背筋が凍る思いなのだろう、彼らの内の半数は洞穴に足を踏み入れた途端、微かに身震いしていた。
中は横道もなく、一行はただ黙々と歩を進めた。
それほど時間はかからなかった。深さもさほどなく、ごく小さな洞窟だったようだ。
行き止まりへ着くと、彼らは荷物を下ろして支度を始めた。
不思議なことに、洞穴の行き詰まりになった壁は、それ以前の部分とは違って土ではなく岩になっていた。しかもゴツゴツとした岩肌の中心に、まるで巨大な鏡のように磨かれた楕円形が出来ている。そしてその前の地面には、まるで祭壇のような壁と同じ岩で出来た長方形の物が置かれている。
明らかにそこは人の手が加わっていた。
松明を持っていた三人は、適当な岩のくぼみに松明を固定すると、荷物から燭台を取り出して炎を蝋燭へ移す。それを長方形の岩へ安置し、更に周りに供物らしき酒や果物を並べた。
先ほどの長衣を着た男は、黒とも紺ともつかない不思議な色合いを帯びた砂を手にした瓶から取り出して水で練ると、まるで即席の祭壇のような長方形の岩の前に不思議な紋様を描き始めた。
それは長方形の岩を中心に、ちょうど壁の楕円を写し取ったような大きさと形だった。その楕円の中に更に楕円を重ねて描いてゆき、間に古代文字のような不思議な模様をびっしりと書き込んでいく。
しばらく時間がかかったが、やがて長衣の男は立ち上がり、壮年の男へ向いて小さく頷いた。準備が整ったのだ。
少年は自分の置かれた立場も忘れ、その光景に口を開けて見とれていた。だが目線で合図する男達にハッと我に返り、初めて不安げな表情を見せた。
そんな少年に、青年は思わず駆け寄りそうになった。だが半ば本能的に辺りに満ち始めた空気を悟ると、逆に身体を強張らせて動けなくなってしまった。
楕円形に描かれた紋様から、煙るようなしょう気が漂い出していた。同時に壁の楕円も変化をあらわした。まるで分厚い緞帳越しに光を当てたときのように、あるはずのない「向こう側の世界」とでも言うべきものの気配を仄かに漂わせ始める。
長衣の男が口中で何やら唱えた途端、辺りの空気がはっきりと一変した。床と壁の楕円とが、白い軌跡で完全に繋がった。同時に、洞窟一面に禍々しい気が満ちる。
――我を呼ぶ者は誰ぞ
突然狭い洞窟に殷々と響きわたった声に、ほとんどの者が身を震わせて立っているのがやっとの状態になるか、あるいは立っていられずがくんと膝をつき頭を垂れた。その声は、それほどの威圧感と邪悪な気配とに満ちていた。
「未来を見通し、予言を下すことの出来る唯一の御方に申し上げる。私はフュスルーを統べるザビオン・カッレス男爵の代理の司祭に存ずる。ぜひ偉大なる方のお力を拝借致したく参上した次第にございまする」
長衣の男が壁へ向かって膝をつき、両手を組んで頭を垂れた姿勢で述べる。
――何を知りたい
「今、わが国は隣国と戦を行っておりますが、既に五年もの間休みなく闘い続けながら未だに勝利を掴むこと叶いません。この戦で勝利を手にし、不毛な闘いを終わらせるには一体いつどこを攻めるべきでありましょうか」
しばらく間があった後、再び声がした。壁からというより、辺り一面から響いて直接脳裏へ働きかけるかのような重みのある声だった。
――西の森から仕掛けることだ。さすれば最も早く戦を終えられるだろう。
「そうすると、西の森に近い村に住む、元々は他国からの難民だった者どもを形だけでも避難させ、保護する必要があります。今の国庫にそれをする余裕はありません。他に何か良い手だてはないものでしょうか?」
――……
途端、辺りにビンと緊張の糸が張りつめた。予言者が、司祭の言葉に不快な念を抱いたことが誰の目にも明らかだった。
司祭の言葉はおそらく、主のザビオン男爵にあらかじめ言い渡されていたものなのだろう。男爵はつい先日、長引く戦の打開を期待され、新たに全権を任されたばかりだった。国土を荒らさず手柄をたて、明らかな功績をたてて己の立場を確固たるものにしようとの考えで今回の運びとなったことは、この場にいる者達には周知のことだった。
狡く小賢しい、そんな性格が見て取れるような手前勝手な言い分に、味方である彼らさえ眉を顰めた。伝説の予言者も自分と同様に、そうした者を不快に思う感情を持ち合わせているらしいと知って、青年は多少安堵した。
しかし結局、予言者が生け贄を要求する事実は変わらなかった。
――西が駄目というならば、他の手段を教えてやろう。が……
思わせぶりに、声が途切れる。
司祭は慌てて槍を構えた男達に目線で合図した。
「あっ……」
槍で追い立てられるように、少年が楕円の中に立った。――と見えたのは、一瞬のことだった。
楕円陣へ踏み込んだはずの足が消えた。少年の姿は仄白い軌跡の中に溶け、一瞬のうちに影さえもなく忽然と消滅してしまったのだった。
少年が消えた後も儀式は続いた。
時間が経ち、再び洞窟の入口に姿を現した男達の顔には同様に、無事戻ってこられた安堵と、勝利への確信に満ちた希望とを見て取れた。
ただ一人、少年を案じていた青年を除いて……。
「……すまん……」
馬の手綱を取り、青年は一度だけ洞窟を振り返った。
これで国は救われるだろう。だが、その代償として一人の少年が供物として得体の知れぬものに捧げられ、幼い命を散らしたのだ。
――そう、見えていたのだが…………
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