White Labyrinth


〜 20 〜

 自宅へ戻ると、ヴァンが来て待っていた。
「グラシアス、お前はまた教授に悪さをしたじゃろう?」
 ヴァンの目が咎めるようにグラシアスを睨み据える。グラシアスは少し居心地悪い物を感じつつ、そ知らぬ風に「さあてね」とうそぶいた。
「まったく……お前のそういう態度が周囲にいらぬ敵を作っていることを少しは自覚したらどうじゃ」
「俺は俺らしく、ごく普通に振る舞ってるつもりだ。難癖つけて喧嘩を売ってくる奴に媚びへつらうような神経は生まれ持ってこなかったからな」
 自分を普通の人間と同じように扱わない社会に対する憤りと、やはり自分を認めようとしないカーヌ家への怒りを、グラシアスは二重の嫌味を込めて吐き出した。
 ヴァンは難しい顔で嘆息した。
 数年前――自分の屋敷を与えられ、ヴァンとの対面を果たすと、さすがにグラシアスの両親も彼を無視し続けることはできなかった。
 ようやく両親に会えると不安を上回る大きな喜びを抱いて出かけたグラシアスだが、儚い期待はすぐさま裏切られた。
 来客用の居間へ通されたグラシアスは、そこでかなり長い時間待たされた。次第に不安が募ってきたところへ「じき当主が参ります」との先触れがあった。緊張して待つ間に更に時間が流れる。ようやく現れた父は眉間に深く皺を寄せ、なるべくグラシアスを直視しないように顔をそむけたままグラシアスの前に作られた上座へ座った。
 グラシアスは父が言葉をかけてくれるのを待ったが、まるで反応がない。重い沈黙が流れる内に、母がやってくるとの先触れがある。
 自分をこの世に生み出した母親はどんな人だろう、自分を見て少しでも何か想ってくれるだろうかと期待を込めてドアを見つめる彼の前で、それが開かれた。
 だが――彼女は部屋へ一歩入り、グラシアスを一瞥したのち叫んだのだ。
「誰か、ソレをどこぞへやってちょうだい! 部屋が家畜臭いわ!」
 グラシアスの全身からザッと血の気が引いた。信じられない思いで頭がグラグラする。
 母親は、わざとらしく鼻を摘んで足早に部屋を出ていってしまった。ほんの数瞬の出来事だった。
 辛く哀しく、情けない気分でグラシアスの心は一杯になった。それへ追い打ちをかけるように、ようやく口を開いた父親が言った。
「まさかこんなことになろうとはな…。くれぐれも人目に付くような真似はしてくれるなよ。尤もそう言ったところで、お前などに人の使う言葉の意味を理解できないだろうがな。まったく、俺の代でこんなことが起こるとは……」
 いかにも蔑みの眼差しをして辛辣な言葉を吐く父親をそれ以上見ることが出来ず、グラシアスは沈痛な面持ちで俯いた。
 早々に屋敷を後にしたグラシアスの胸には、暗い悲哀とどす黒い絶望とがうずまいていた。
(どうして!? 俺はギリアークと同じ、あなた達の子どもなのに…!!)
 一度だけ屋敷を振り返った。豪奢でいながら品のある、立派な邸宅だ。
(あそこに俺の親が住んでいた……)
 もう二度とここへ来ることはないだろう。やるせない想いをグラシアスは無理矢理清算した。その後自分が生きて行くためには、彼らへの感情をそのままにしてはおけなかった。自分に親はいないのだと思わなければ、とても正気を保って生きていくことなどできそうになかった。
 それでもグラシアスの胸にぽっかりと開いた暗い穴は完全には塞ぎきれず、彼をしばしば荒んだ感情へと駆り立てた。
 辛苦を堪えることが難しくなり、それは魔導の修得にも影響を及ぼした。並外れた魔導力を持つグラシアスは、力の大きさに比して自制心も強く持たなければならない。胸の奥に激しい嵐を封じ込めながら、更にそうして制御しなければならないことは、グラシアスの精神へ過酷な負荷を与え続けた。
 それでもグラシアスは努力し、どうにか精神の均衡を保ち続けていた。だがそれは、いつ暴走してもおかしくない危難を孕んでいた。
 一見して忍耐の足りないように人の目に映るグラシアスが、実は人の想像以上に自らを律していることを、ヴァンだけは知っていた。ギリアーク以外の友人を作れず、喧嘩早くて問題ばかり起こしているグラシアスを、ヴァンなりに助け見守ってきたが、それにも限界がある。
 グラシアスがやりすぎた時、ヴァンは容赦なくグラシアスを切り捨てるだろう。こうしてヴァンがグラシアスの家へとやってくるのは、大抵そんなギリギリのときだった。
 本来なら、ヴァンほどの身分の者が身内とはいえグラシアスの家へ自ら足を運ぶなど、よほどのことでなければありえない。普通ならグラシアスを呼びつけるところだが、ヴァンはそうしたことには頓着しなかった。
 ヴァンはグラシアスの家を気に入っているようだった。
 グラシアスの家は、こじんまりとして多少富裕な一般庶民とそう変わらないものだ。自分らしい住まいを求め、土地や内装など気に入るものを自分で探した。与えられた屋敷にはいくらもいずに、その後グラシアスはずっと貴族の子弟が住むには随分と貧相なこの家で暮らしている。
 それでも国の平均的水準からいったら贅沢なものだ。家内をそれなりに保つためと食事の用意のために、ほんの数人だけ使用人を置いて好き勝手にやっている。
 グラシアスとしてはヴァンのように多くの書物に囲まれて静かに暮らしたいところなのだが、何もしないでいることはヴァンが許さなかった。まず学校へ行き、人と同じ生活をすることを義務づけた。
 グラシアスにとって世界は不快なもので満ち溢れていた。いっそ我慢せずに何もかも壊してしまいたい衝動にかられそうになる。ヴァンはそれをよく心得て、ここぞというときにやってきては彼を諌めた。
「いい加減にしなさい。お前は簡単に物を壊しすぎる」
「…チッ。直しゃあいいんだろう」
 グラシアスはサッと腕を振り上げ、目を閉じ印を結ぶと、口中で軽く呪法を唱えた。
「ほら、もう直ったぞ」
 グラシアスの言葉にヴァンが目を細める。遠視でその言葉が確かなことを確認すると、その異常なまでの上達ぶりに内心感嘆した。これだけ遠方からそのようなことが可能な者は、ヴァンを始めとするほんの一握りの者だけだろう。
 グラシアスの力は、ヴァンの予想を超えて成長し続けていた。
「ところで何の用で来たんだ? 今回のはわざわざ怒鳴り込みに来るほどじゃなかったと思うが」
 ちゃっかりヴァンの内心を測って予想を立てていたグラシアスに、ヴァンは軽く苦笑した。
「お前は少し反省というものを知りなさい。まったく…。今回のことは見逃しておくが、これからはそういう訳にはいかんからな」
「ほお。それじゃ、これからの俺は今までと違うってことか」
「さすがに飲み込みが早いな」
 ヴァンの言葉にグラシアスは眉を寄せた。冗談半分に言いはしたが、いつもと何かが違うことは感じていたが、それが何なのか具体的に判っていたわけではない。ヴァンが言わんとしていることを判じかね、次の言葉を待った。
「儂だとて、いつまでこの世におれるか判らんからな。お前は未だにリーンであることから逃れられん。婚姻もできず、自分の後に何かを残すことが困難じゃ」
「別にそんなこたあ構わねえよ」
 ヴァンの言葉にグラシアスは不敵な笑みを浮かべた。だが内心では収まりきらない感情が渦巻いていることは、ヴァンには知られているだろう。
 リーンは婚姻できない。社会的な差別を受けていることもあるが、第一に誰も相手になりたがらないからだ。それを示すかのように、グラシアスの名を与えられた後に戸籍は作られたが、そこにはグラシアスの名と出生日、出生地などが書かれただけで、家族の名やその後加えられるべき項目の欄はつぶされていた。
「ちと難はあるが、ま、そろそろ良いじゃろう。実力で言うなら遅すぎるくらいじゃて」
「…勿体ぶってないで早く言えよ」
 痺れをきらしたグラシアスに、ヴァンが楽しげに微笑した。
「先日魔導師協会から脱会する者が出てな。これによって順位がひとつずつ繰り上がって……」
 ヴァンが話している間に、表が何やら騒然としてきた。グラシアスが透視をやると、ギリアークがこちらへ向かっているところだった。
「…ちょっと待ってくれ。――どうしたんだ、ギリアークが来たみたいだが。ちょっと見て…」
「その必要はないようじゃ」
 席を立とうとしたグラシアスをヴァンが制した。
 同時に部屋のドアが荒々しく開かれてギリアークが駆け込んできた。やや髪が乱れ、走ったのか服も着崩れしている。いつも身だしなみには気を配り、服も専門の店に任せて高感度の高い格好をしている彼が、よほど慌てて来たらしい。
 初めて目にするギリアークのそんな姿に、グラシアスは思わず目を瞠って立ち上がった。
「グラシアス、いきなり来て申し訳ない。無礼は承知だ、そのことは謝る」
 口調は丁寧だがギリアークは到底落ち着き払ってなどいず、その眼はいつになく炯々と光りグラシアスがたじろぐほどだった。
「お祖父様のお屋敷へ行ったらお留守だったので、おそらくここだろうと思って来たんだ。思った通りだった」
 グラシアスを見据えていた目を、ギリアークはヴァンへ向けた。
「下級魔導師の欠員の件で、お祖父様がグラシアスを推したことを聞きました。あれは本来、僕が推されるはずだったのでは…! 僕がカーヌ家の時期当主として誰より魔導学に力を入れていたことは、お祖父様もご存じのはずです!」
 ギリアークの言うことはグラシアスにとって初耳で、驚いて思わずヴァンを振り返った。ヴァンは平然として「それがどうした」という顔で悠然とソファーに身を沈めている。
 成績で言えばギリアークよりもグラシアスの方が圧倒的に上位だったが、魔導師という資格を与えるとなると、必ずしも成績だけでは決められない。グラシアスは性格的に問題があり、資格を与えるならば次はギリアークへという意見が圧倒的だった。
 資格保持者は協会に付属することで幾つかの制限も受けるが、それ以上に学生とは違う様々な特権を得ることが出来る。国の公認で仕事を出来ることは当然ながら、協会保有の貴重本の閲覧もできるし、何より高位の魔導師と親密に交流できるようになる。
 一般人と魔導師との交流は別に禁じられているわけではないが、普通に生活していては魔導師と日常的に語り合う機会はほとんどない。学校で教わる魔道などたかが知れているし、それを仕事として扱い日々研鑚を積んでいる者達の間にいてこそ、より高水準の知識や技術を手に入れられるものだ。
 高位の魔導師を多く輩出することで栄えてきたカーヌ家の後継者であるギリアークとしては、一日でも早く魔導師の資格を得ることが目標となっていたのだろう。
 ヴァンは黙って目を瞑っていた。聞く耳を持たないという姿勢だ。
「お祖父様! 僕は納得いきません!」
 そんなヴァンに、ギリアークはなおも縋り付いた。
「僕にもチャンスを下さい!」
 ギリアークのむき出しの欲望に、グラシアスは驚き動揺した。
 最近、ギリアークとは話の合わないことが多くなっていた。グラシアスを自分と同等のように考え、彼の苦境を察せないギリアークは、授業はさぼるし喧嘩の絶えないグラシアスを理解できないでいた。会うたび注意や小言ばかり言うギリアークにグラシアスも閉口し、あまり近づかなくなってきていた。
 それでもギリアークはグラシアスにとってヴァンと共に希少で大切な存在であることに変わりはない。以前ほど手放しに好きだとは思えないが、嫌いになることなどできなかった。
 魔導師は特殊な鍛練を積むことで通常の人より遥かに長命なため、滅多に欠員がない上に、欠員分しか募集をしない。協会に登録しなくても魔導を使えればそれなりに仕事はできるが、魔導師と名乗ることはできないし協会内を自由に出入りすることもできない。魔導師になることでの恩恵は計り知れなかった。
 そんな魔導師になることはグラシアスにとっても目標の一つだったが、ギリアークにならば譲ってやりたい気がした。
 だがヴァンは容赦しなかった。
「推挙は決定と同義じゃ。今更変えられはせん」
 諦めきれない表情で唇を噛んで俯くギリアークに、グラシアスは黙っていられなかった。
「ギリアーク、決闘するか」
「……えっ!?」
 驚いた顔でギリアークが振り返るのに、グラシアスにしては珍しく真面目な顔をしてみせた。
「ギリアークを押し退けて魔導師になったと思われたら、俺も今後何かとやり難いだろうからな。辞退することは簡単だが、それではギリアークも納得できないだろう。白黒つけるためには決闘するのが手っ取り早い」
「それはそうだけど……」
 不安げにギリアークがヴァンを見やる。
 ヴァンはギリアークを見ずにグラシアスを向いていた。その眼差しは「また自分を追いつめるようなことをしおって」と嘆息しているかのようだった。
「それでいいよな」
 グラシアスが強引に念押しするのへ、ヴァンは仕方がないというように重く頷いた。

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