〜 22 〜
決闘から数日後、グラシアスは馬車に乗っていた。
任命式に備えてヴァンの屋敷へ行くところだった。本来協会の事務局へ行かなければいけないところを、ヴァンが任命証授与に関する手続きについての説明をしてくれるという。
グラシアスは準正装の出で立ちで、珍しく馬車を使ってヴァンの屋敷へ向かった。今後おそらくヴァンの配下になるだろうから、外聞を配慮してそれなりに敬意を示しておくべきだと考えたためだ。
馬車自体はそれほど立派なものではない。無駄を嫌うグラシアスは自分の馬車を持たないため、金をやって適当に借りてきた。
下らぬ意地を捨ててそれなりに世間体を保つことで自分を守れることもあるのだと、グラシアスはいつともなく学んでいた。それに加えて、今はヴァンに対してもなるべく隙を見せたくない気持ちがあった。
決闘に使った魔導の件で、ヴァンから何か言われるだろうという予感がしていた。そうでなければ、ヴァンとて暇でもなくそこまでグラシアスに甘いわけでもないのだから、わざわざ屋敷へ呼ぶことはしないだろう。
(あの声は……あれの『元』ってのは、一体何なんだろうな……)
ガタゴトと不快な振動に揺られながら、グラシアスは回想した。
あの夜――決闘を控えた月夜の晩、昔からグラシアスを呼び続けていたあの声を辿っていった。
声は確実にある一方から聞こえていた。それは男でも女でも、子どもでも大人でもない不思議な響きをしていた。強いて言うならば、空に瞬く星が語りかけたらこんな響きをしていたかもしれない。まるで天上から聞こえてくるかのような声は、もしかすると脳へ直接呼びかけていたのではと、後にグラシアスは考えた。
その声は近づくにつれてはっきりとグラシアスを――というよりも、リ=カーヌの名を呼んでいた。
そうして辿り着いた先は、二度と来ることはないと思っていたカーヌ本家の屋敷だった。カーヌ家は、本館とは独立した別棟に立派な図書館を所有している。不思議な声はそこから聞こえてくるようだった。
グラシアスは屋敷へ足を踏み入れることに一瞬躊躇したが、声の主を見たい気持ちの方が勝った。
門番の目を盗んで忍び込むことは容易かった。図書館の扉には魔導避けの結界が張られていたが、グラシアスが扉へ手を掛けると、まるで待ちかまえていたかのように鍵が開いた。
そうして図書館の中央に配された螺旋階段を最上階まで上り、どうして知っていたのか判らないが本棚の蔭になっていた隠し扉を開いて、今度は地下まで降りた。長年誰も足を踏み入れたことがなかったことが明白な、うず高く積もった埃と澱んだ黴臭い空気は、却って誰に見つかる心配もないとグラシアスを安心させた。
どこからか洩れるごく薄い明かりの下で、グラシアスはそれを見つけた。
――…そうだ、お前だ……リー……リ=カーヌ。
青黒い背表紙の、年経た書物が語りかけてきた。
『…本が…呼んで欲しい人に自分から話しかけてくる……』
グラシアスはハッとした。昔ウィニーに聞いた話を思い出す。
(あれは本当のことだったのか!?)
今のグラシアスから見たら何も知らないが如きあの青年が、これほどの重大事を教えてくれていたとは。グラシアスは自体の重さを知って戦慄した。
――『リー』の名を冠する者よ……
グラシアスは震える手で本を手に取った。インクの薄くなった表紙を指先で辿ると、本の題を読みとれた。
<ドゥリュクスによる38の魔導術>
その名にグラシアスは驚いた。
それは魔導を少しでも齧った者なら、必ず知っている名だ。まだ魔導という言葉もなかった大昔に、初めて魔導を体系的に解明し、明文化したと言われる偉大な魔導師だった。
そうして『ドゥリュクスによる38の魔導書』というのは、中級者向けの魔導書として、魔導師を目指す者ならば必ず学んでいるものだ。ドゥリュクスの名による書物は多いが、これは特に有名なものの一つでもある。
グラシアスは失望しかけた。だが、
――リーンよ、我を手にせよ。我を己のものとし、我の全てを世に体現せよ!
書物は抗い難い圧力をもってグラシアスへ更に呼びかける。
「わーったよ、復習でもなんでもしてやるよ!」
諦めたように大きな溜息を吐くと、グラシアスは空中に鬼火を灯らせた。途端に辺りがポウッと明るくなる。そうして書物を開いた。
最初の頁をめくってすぐ、グラシアスは顔を強張らせた。
(これは……!)
それは明らかにグラシアスが知っていた中級者向けの教科書などではなかった。危険な複合技や、それまで不可能とされていた難解な術など、今まで習った物の比ではない超高度な魔導の解説書だったのだ。
(何故こんなものが、こんなところに……)
一瞬かすめた疑問は、すぐに霧散した。
グラシアスは時も忘れて書物に没頭したのだった。
「……以上で一通りの説明は終わりじゃ」
ヴァンは言葉と共に書類をまとめ、グラシアスへ手渡した。
「あ〜あ、これで俺もまったくの自由の身からおさらばってわけか!」
グラシアスは彼らしい憎まれ口をたたきながら、両手を天井へ向けると伸びをした。
「何を言うとる。お前はいつだって自由にしておるじゃろうが。――まあ不自由なことの方がずっと多いかも知れんが、多かれ少なかれ誰しもそうした中で生きているのじゃからな」
ヴァンは珍しく哲学的なことを口にすると、それまでの事務的な表情を弛めて苦笑した。
「さてと。あとはお前がサインした書類を事務局へ提出すれば良いとして、帰る前にお茶でも飲んでいきなさい」
グラシアスは「ああ」とぞんざいに返しながら内心身構えた。
(こりゃやっぱり言われるな…)
いくらグラシアスが優秀だといっても、未知の技を考え実行できるところまでは至っていない。決闘で知られざる超難度の技を使ったことで、ヴァンには様々なことが筒抜けになってしまっただろう。
隠すことではないのかも知れないが、できればあまり知られたくなかった。――どうしてなのかは判らないが。
ヴァンは勿体付けることはしなかった。居間へ移動し腰を落ち着かせると、開口一番に決闘でのことを切り出した。
「グラシアス、お前に訊きたいことがある。あの日ギリアークに使った技をどこで知った?」
いきなり核心を突いてくるヴァンに、グラシアスはとぼけてみせた。
「別にどこって訳じゃねえよ。前から考えてたことを実行してみただけだ」
肩を竦めてしらばっくれる。
「あれはそんな甘っちょろい技ではない」
グラシアスの態度にヴァンが険しい顔になった。
「確かにあれは、考えつけない技ではない。じゃがあの使い方は、使用者にも周囲にとっても危険な技じゃ、普通は考えついた時点で使用を断念する」
「……」
「反復作用によって技の力は限りなく強大になるが、閉じこめた力を対象へ向けるためには部分的に技を解放してやらねばならん。じゃがこれは非常に繊細な神経を使って、転移術で発生する摩擦によって生じる磁力を制御する必要がある。効果の大きさに対してそれほど魔導力を使わずに済む便利な技に見えるが、制御を一歩間違えれば自分もその周囲も吹き飛ばしてしまう危険な技じゃ。そのため、これは禁術とされておる。――『ドゥリュクスの書』というのを知っておるか?」
ヴァンはいきなり質問してきた。
「そりゃ知ってるさ。魔導学のテキストとして使ったからな」
グラシアスはあくまでも知らぬ存ぜぬを貫こうとした。
「そんなものではない。判っておるじゃろう、表ではない、裏の――禁断の書『38番』じゃよ」
「禁断の書?」
「そうじゃ。お前の使ったあの技は、この禁書に載っているものじゃ。この世に禁書とされる書はいくつかあるが、中でもあれは特別じゃ」
この先はグラシアスも知らないことだ。緊張で、グラシアスは知らずごくりと唾を飲んだ。
「知っての通り、ドゥリュクスは今世の歴史の一番最初に出てくるほどの、いにしえの大魔導師じゃ。この土地に馴染めず人類が滅びようとしていた時、魔導を開発し、人々が問題なく生きていかれるよう他にも様々な奇跡を起こしたと言われる聖人じゃ。が、誰もが彼の名を知っておるが、彼の全貌は謎に包まれている。一説によると、彼は神の使徒で人間ではなかったとも言われておる。
そのドゥリュクスが黄泉へ旅立つ前に、自身の知識を後世へ伝えるために書き記したのが、一般に知られている『ドゥリュクスの書』じゃ。これは初級者への入門書から上級者へ向けた物まで全部で九つある。その内七つが一般に知られておる『ドゥリュクスによる魔導書』集で、二つが禁書と言われるものじゃ。――その顔を見ると、このことはどうやら初耳だったらしいな」
「ああ」
グラシアスは頷いた。
「そんなふうに系統立てて教えてもらったことなんかないからな。ただ教科書を与えられて学ぶばかりで」
「本の中身が大切で、本の種類についてなど知る必要はないものじゃからな。それに偉大な魔導師ほど長命で生まれも死亡も定かでなく、歴史にしても大まかにしか判らんので教えようがないのじゃよ」
「それで。禁書が二つあるっていうのは、一体どんな本なんだ?」
グラシアスは結論を急かした。
「それが残念ながら二つとも行方不明でな。一つの書には、魔導でなくある危険な物が封じ込めてあると言われておるが、これは信憑性に乏しく伝説に過ぎんともいう。もう一つは実在していて、魔導師協会が所有していたこともある」
グラシアスは自分の知っている物がどちらに当たるのか、秘かに胸を高鳴らせた。
「その実在が確認されている方の書は、ドゥリュクスが先に書いた魔導の入門書の続編として綴ったという。じゃが、あまりにも強大な魔導でそれを用いた者のことごとくが問題を起こしたため、ドゥリュクスは使用を禁じた。それでもその技を知った者達は、その書で知った技を試してみたいという誘惑にどうしても打ち勝てず、悲惨な事故が後を絶たないため、ついに禁書として完全に封じてしまったのじゃという」
どうやらグラシアスの手にした禁書はこちらの方だったようだ。確かにあの技の数々は実に魅惑的だ。どれも簡単そうに見えて複雑で、小さいようで強大な力を秘めている。単なる攻撃や防御の魔導から、過去視や未来視、生体や精神の改造といった道徳理念に関わるものまで、内容の多彩さも相まってつい試してみたくなる。
「協会にはドゥリュクスの禁書に書かれておった技がどういったものであったかの記録が残されておる。第二の禁書を作ることを畏れて具体的な内容までは記しておらんが。そうしてその術を使った者は、禁書を知る者によって忠告を受ける。もし忠告を無視して再度その技を使ったら、魔導師の資格を剥奪された上に厳罰を受けねばならん。
またそれのみでなく、あの書は様々な秘密や危険を孕んでおる。もしお前があれを見つけ持っているとしたら、一刻も早く魔導師協会へ届け出なければならんぞ」
「なんだかその禁書を知ってるような口振りだな」
思い入れたっぷりに語るヴァンへ、グラシアスはおどけるように言った。
「ああ、知っておるよ」
ヴァンはあっさり肯定した。そのことに、グラシアスは少なからず驚かされた。
「儂も昔、あれを手中にしていたことがあるのでな。あの本は不思議なことに、読む者を選ぶのじゃよ」
グラシアスは思わずビクンとした。ヴァンはそんな彼へ、凝…と鋭い眼を向けていた。
「あの禁書は独自の意志を持っておる。自分を真に扱いこなすことができる者へのみ呼びかけ、使用させようとするのじゃ。おそらく封印された魔導の力が強すぎたためじゃろう。ドゥリュクスにはそれだけの力があったと見られておるし、偉大な魔導師や魔導といったものにはそうした力がつきものじゃからな。
そうしてあれは、読む者を選ぶ。強い意志でもって呼びつけ、己を解放させようとする。――どうした仕業かは知らんが、実に危険な代物じゃ」
グラシアスは冷たい汗が背中へ流れるのを感じた。
「…それで、あんたはそいつを協会へ渡したのか?」
「いいや。それを知って提出しようとした途端、どこへともなく消え失せてしまったのじゃよ」
ヴァンは苦々しい顔をした。
「あれはただの書物ではない。無機物としては信じられんことに、自身の精神を持つというだけでなく、好きに消えたり現れたりしおる。あれを使いたがった者達の念か、著者であるドゥリュクスの念が篭もったためかは判らぬが……」
(――そうだ)
グラシアスは想い出す。確かにあれは、ずっと昔からグラシアスを呼び続けていた。グラシアスがまだ魔導の存在に気づかなかった頃から、まだ幼く大した力も持たない頃から、彼を選び、己の継承者と……傀儡とするために……。
「消えた後、あれの消息はぷっつりと途絶えてしまった。それまでは微かな波動くらいは感じておったんじゃが、それ以来さっぱりとな。使うまいとする者のところに居っても意味がないということじゃろう。しかしそれからずっと年月が経った頃、ふいに時々あれの波動を感じるようになった。ちょうどお主達が生まれた頃のことじゃ」
ヴァンは探るような眼差しでグラシアスを凝視した。グラシアスは一瞬たじろいだものの、負けじと真っ直ぐヴァンを見返した。
「…知らぬというなら、それはそれで良い。じゃが、もし知っていたら必ず協会へ届けるのじゃ。一説によると、あれには麻薬のような作用があるという。長く所有すればするほど手放し難くなり、全ての術を使わねば気が済まなくなってしまう。そうして38の全ての術を使った時……」
「何かあるのか?」
「その者は魔導師ではない、ただの禁書の傀儡に変じてしまうと言われておる。肉体も魂も禁書の呪に冒されて、人ではない幽鬼のような魔物になってしまうのじゃ」
グラシアスの瞳がほんの僅か、不安げに揺れた。
「そうなった奴がいたんだ?」
「さて、それは判らん。そうと言われておるだけで、誰もそうなった者について知らんのじゃ。そんなことになった者は、この世の空気に耐えられず、異世界へ飛んでしまうとも言われておる。が、ただ一つ、あれが尋常な人間に扱えるような代物ではないことだけは確かじゃ」
(これまでの奴等は、あれを使いこなすことができない腑抜けばかりだったんだろう)
グラシアスは心中で冷笑した。多少強がりもあったかもしれないが。
「お主は自信家じゃから、自分ならば大丈夫と考えておるかもしれんが、長い時を経てきたものを侮ってはいかん。世の中にはまだまだお前の知らぬことの方がずっと多いのじゃからな」
話が一段落したとみて、グラシアスはカップの茶をグイと飲み干し立ち上がった。
「ま、せいぜい肝に銘じておくよ。――ごちそうさん」
そうしてヴァンの溜息を背中に、グラシアスは屋敷を後にしたのだった。
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