10000hit記念 02.08.17〜02.08.31

ユメモノガタリ


第 二 章  〜 波紋 〜


 もう清樹と一週間近く言葉を交わしていない。
 それこそ部活のない日でも、校内で顔を合わせればどちらからともなく雑談を交わし、先日は清樹のアパートへも遊びに行ったし、俺の寮にも遊びに来た。なのに部活でさえ話すことがない。話しかけようと近づくと、プールへ入ってしまったり何だかんだと避けられるのだ。
 そう、明らかに清樹は俺を避けている。それ以外にそんな偶然はありえなかった。
 何とかして清樹に理由を問いたださなければと、俺は考えを巡らせた。

 その日、俺はいかにも急ぎの用事があるふうを装って、部活が終了するとそそくさと部室へ向かった。そんな俺の姿に、清樹は明らかに安堵した顔を見せた。
 清樹はとにかく泳ぐことが好きだ。水に浸かっているだけで幸せという、生まれながらのスイマーのような奴だ。一人になれば、きっと時間ギリギリまで泳いでいるだろう。
 それが俺の狙い目だった。
 何人かが練習に残っていたようだが、誰も清樹ほど居残っていなかった。放っておけば、清樹はきっといつまででも泳いでいるだろう。そんな彼についていける者などいない。
 俺は適当に時間を潰してから部室へ戻った。既にそこには人気がない。プールを覗いてみると、思惑通りに清樹が一人で水に潜っていた。
 水中にいる清樹を掴まえることは、俺にはまず不可能だ。プールは広い、清樹が泳いでいるときに話しかけたら、会話するどころでなく簡単に逃げられてしまうだろう。
 俺は下校時間ギリギリに清樹がプールから上がってくるのを待った。
 下校十分前の放送がかかり、清樹がようやく名残惜しげに水から上がってくる。――すぐに声を掛けたらいけない。俺は、走って清樹を掴まえられる距離だけ清樹がプールから離れるのを待った。
「清樹!」
 いきなり現れた俺に、清樹は文字どおり驚愕に目を見開いた。
「話がしたいんだ」
 近づいていく俺に、はじめは狼狽えたものの、清樹はすぐ俺と反対方向へ走り出した。
「逃げるなよ!」
 陸上でなら俺の方が早い。俺は走っていって、アッという間に清樹の腕を掴まえた。
「お前、ずっと俺を避けてるだろう? 何でだ? 俺が何かしたのか!?」
 捕らえられた清樹は苦しげに俺から顔を背け、なんとかして逃れようと必死で身を捩る。
 俺から見たら少女のように細い清樹の抵抗など、抗う内に入らない。俺は清樹の抵抗を難なく押さえ込み、両手を掴んで引き寄せると、決して俺を見ようとしない彼へ憤りをぶつけた。
「なんとか言えよ!」
 清樹は小さく震えていた。俺が怖いのだろうか。そう思うだけで、俺の怒りは膨れ上がっていく。
 力無くしゃがみ込もうとする清樹を、俺は逃がすまいと抱え込んだ。――とそのとき、ようやく俺は清樹の変化に気がついた。
「…手を……は、離して……」
「お前……」
 思いもかけない出来事に息をのむ。
 ずっと水に浸かっていたはずの清樹の躰が、仄かに熱を帯びている。薄い水着の下で何が起こっているのか、考えるまでもなかった。
「お前、俺としたいのか?」
 訊いた俺を、清樹は潤んだ瞳で見上げた。
 どこまでも澄んでいながらあまりの深さに底の見えない湖水のような、その独特な瞳――闇の魅力は強烈で、ただの人である俺には抗し得なかった。
 華奢な肢体を折れんばかりに抱きしめ、熱い唇を貪った。柔らかな舌を夢中で吸い上げ、口腔を蹂躙する。
「あ……んっ……」
 唇がクチュリと音を立てる。どちらのものとも知れない唾液が口の端からこぼれ、足を濡らす塩素混じりの水に溶けて消えた。
「んあっ……やっ、ダメ……んんっ……」
 理性をなくした俺に、清樹は必死で反発した。俺は無意識に抵抗を封じ込めようと、より深く唇を重ね合わせた。
「…んくっ……せ、先輩……嫌っ……ダメです!」
 荒い息でどうにか俺から顔を離すことに成功した清樹は、叫ぶように一息に言った。
「ダメです! おれは、先輩とだけはやりたくない!」
 それまで夢中になっていた俺も、その言葉にハッと意識を現実に戻した。
「な……なんだよそれ!?」
(あれだけ色んな奴と交渉を持ったくせに、なんで俺がダメなんだ!?)
 俺はそれまで清樹と性交渉を行わないことを誇りに思っていた。そうあることで、清樹にとって俺が特別なもののように感じられたからだ。
 だがもし清樹にどうしてもそうした行為が必要だというなら、大勢の中の一人になってもいいと思った。いつの間にか、それだけ清樹が自分にとって大切な存在になっていた。
「先輩としたら、おれがおれじゃなくなっちゃう…」
 清樹の返事はどこか頼りなかった。
「いいじゃないか、それでも! 乱れた今までのお前なんか粉々にして、俺一人のものにしてやるよ!」
 清樹にとっての俺も特別なのだとしたら、俺に拒む理由はない。しかし、
「ダメ、ダメなんです。どうしても…和馬先輩だけは…イヤ……」
 ――清樹はそんな俺の想いを拒絶した。
「ああそうか、判ったよ!」
 俺にだって意地もプライドもある。そこまで言われて無理強いなどできるはずがない。
 俺は怒鳴るように言い捨てると、俺の支えを失ってズルズルとプールサイドへしゃがみ込んだ清樹を置いて、その場を去った。
 何故、という問いが俺を苛む。
 清樹の拒絶の意味がわからない。何故俺が拒まれなければいけないのか、何故あんなあからさまに避けられなければいけないのか、俺だけが排除されなければいけないのか!?
 怒りと哀しみと、寂寥感とが俺を蝕む。
 心を半分も無理矢理むしり取られたような気がした。


 あれから清樹を目にしていない。清樹が登校してこないからだ。
 学校へは病欠が出ているようだが、あの直後では、俺には清樹が俺を避けているとしか思えなかった。
 そこまで徹底して嫌われたんだろうか。
(清樹が俺を嫌う……)
 その考えは、俺の目の前を真っ暗にした。
 あのとき清樹が俺を求めていると思えたのは、俺の勝手な思い込みだったんだろうか。俺はたまたま身体的反応を示した清樹に、一方的に俺の想いをぶつけただけだったんだろうか。
 その答えは清樹にしかわからない。そうして清樹は俺と話さない――。
 考えてもどうしようもない堂々巡りに、俺は幾夜かの眠れぬ夜を過ごした。

 その晩は激しい嵐だった。
 寮の部屋で、俺は聞くともなしにテレビの流す「この夏最大の台風が直撃している」というニュースを聞いていた。
 寮は二人部屋で、ルームメイトはとっくに眠りに就いている。俺は小さく溜息を吐くとテレビの電源を消した。
 途端に、窓を叩く水滴が勢いを増して感じられる。
 カーテンの裾を少しめくって窓外を覗き見る。湿気にやや曇った窓ガラスを指先で擦ると、クリアになった部分から闇を強く感じた。
 疲れている、眠気も感じる、しかし眠れない。何も考えたくないから眠ってしまいたいのに、夢に逃げ込むこともできない。
 クラスメートに顔色が悪いと指摘されて保健室へ行き相談したが、ずっと寝なければいつか寝られると当たり前の答えが返ってきて終わりだった。
 寝なければと思うほどに、清樹の白皙が浮かんできて俺を苦しめる。今も、闇の中にほんのり白い影が見えるようで胸が軋んだ。
 あの艶やかな髪に思いきり触れてみたかった。滑らかな肌も、柔らかな曲線を描く唇も、ほっそりした顎も……。
(そう、こんなふうに)
 そっと手を伸ばすと届きそう――そう思って、俺はそれがただの妄想でないことに気づいて驚愕に目を瞠った。
 妖しい艶を含んだ双眸が、俺を見ていた。
 勢いよく窓を開けた途端にザッと雨粒が俺を襲い、強い水の匂いが辺りを包み込む。
 吹き荒れる風の唸り、耳を聾せんばかりの雨音。それらに負けず声を張り上げ、その名を呼んだ。
「清樹ッ!!」
 恋い焦がれた者の姿に、ここは二階だとか、部屋にルームメイトが寝ているのだとか、そうした常識はあっけなく霧散していった。


 腕の中に清樹がいる。それだけで、他には何もいらなかった。
 以前チラリと垣間見た清樹はいかにも物慣れていたが、今この腕の中にいる彼は、まるで何も知らないかのように一つ一つの行為に頬を染めていく。
 貪るように口づけた。口腔を割って歯列を辿り、深く奥を探って存分に蹂躙する。舌を絡めて犯すように強く吸いながら、その甘さに俺の思考は完全に酔った。
 俺の動きに敏感に反応し、恥ずかしげに視線を泳がせる様子は、俺の欲望をますますエスカレートさせた。
 滑らかな感触を確かめるように掌で触れながら、冷たい肌を温めるように、唇で丹念に全身を辿っていった。
「…あ……あんッ……」
 控えめな声は、互いの熱が増すに従ってあられもない喘ぎへと変化していく。
 欲望を示した互いの部分が重なった途端、ビクンと清樹の躰が跳ねた。
「あっ! …あ…、はぁっ…ん……」
 欲望を隠さず吐き出せと命じるように、腰を使って数度擦り上げると、清樹の喘ぎはもう止まらなくなった。
 強烈な引力だった。俺自身、抑えようのない熱に侵されていく。清樹と触れ合わさったところから、まるで電流が流れ込むように欲望が増幅されていく。
 躰を少しずらし、ぷっくりと膨らんだ赤い乳首をぞろりと舐め上げた。
「はぁっ!」
 清樹の背が勢いよく跳ねた。
 突起に絡めるように舌先でつつき、唾液にねっとり濡れたところを親指の腹で押しつぶすように撫で上げる。
「ああっ……ん、やんっ……先輩っ……!」
「和馬って呼べよ」
 意地悪をするように、赤みを濃くした乳首を摘み上げた。
「んあっ……か、和馬ぁ……」
 名前を呼ばれ、愛しさがこみ上げる。眦へ唇を寄せて、浮かんだ涙を吸った。
 ひっくり返して背を向けさせると、柔らかな双丘を撫でる。割り広げるようにすると、小さな蕾が現れた。
「……あ……」
(水の匂いがする)
 そこへ顔を埋め、なぞるように舌を這わせた。丁寧に何度も舌を差し込み、唾液でぐっしょり濡れるまで舐めほぐす。
「……んんっ……ふあっ……」
 様子を見ながら指を差し込み、抜き差ししながら広げるように解していく
「…あんっ……んあっ、あはぁっ!」
 やがて堪えきれないように清樹の腰が揺らめきだした。
 舐めほぐしてすっかり柔らかくなったそこは、誘うようにひくついている。俺は砲身をあてがうと、ゆっくりと身を沈めた。
「……あああっ!」
「………クッ……」
 熱い粘膜が俺を包み込む。たまらない快感だった。
 清樹の腰を掴み、のしかかるようにしてズズッと奥まで挿入すると、清樹は我慢できないように身悶えた。
「んふぅ…っ……んっ、あぁ……」
 ねだるように腰を押し付けられ、その動きに刺激されて、俺は耐え切れずに早々に果ててしまった。
 だが誘うように蠢く清樹の襞は、いくらも経たずに再び俺を固く勃ち上がらせる。
「……清樹…、清樹っ……」
「んっ、あ……あん、あんっ…っ、イイ! イイよ、和馬ぁ…っ!」
 奥へ奥へと突き上げるたびに、悲鳴のような切ない清樹の声が響く。
 抉るように穿ち深く突き挿し、ギリギリまで引き抜いてはまた勢いよく挿入する。はばからず獣のように声をあげ、何も考えず、ひたすら甘美な躰を貪り続けた。
 幾度果てたかも既に定かでない。
 何かがおかしい、とは思った。その瞬間が訪れるたびに、まるで命を削られていくような強い虚脱感が俺を襲う。
 だがそんな疑問を吹き飛ばすほどの強烈な快感に、俺は我を忘れた。
 既に雨音も遠い。互いの汗と体液の混じり弾ける音だけが耳に響く。
(このまま夜が終わらなければいい――)
 精を吐き出すたび遠く霞んでいく意識の隅で、俺は古今不変の想いを抱いていた。

 ――眠くてたまらない――
 寝たいときに寝られなくて、どうして今こんな強い眠気がやってくるのか。怒りに似た絶望が浮かんだが、どうにもならなかった。
 ぼんやりした視界の先に、哀しげな眼差しが映る。
「和馬、ごめんね……」
 そんな言葉を聞きたいわけじゃない。俺はお前に笑っていて欲しいんだ。
 けれど俺のそんな想いはどうしても言葉になってくれなかった。
 今眠ってはいけない、そう思うのに、睡魔はあらがい難く甘い誘惑で俺を引きずり込もうとする。
 そんな曖昧な意識なのに、妙なことばかりが記憶に残っている。
「和馬は『水妖記(すいようき)』って知ってるかな?」
 答えを返せない俺を置いて、清樹は一人淡々と語り続けた。
「いわゆる『人魚姫』だけど。――人のような感情を持たない西洋のウンディーネは、愛した人の命を自ら奪うことで人の心を得るんだ。でも日本の水妖は、恋人を失うことに耐えられなかった。死を選びながらも死にきれなくて、結局何もかもなかったことにして記憶ごと恋人を殺してしまう…。
 妖魔は人間のような強い魂魄を持ち得ないから、何があっても恋だけはしてはいけない。そう知っているのに、皮肉な運命のように必ず恋に囚われてしまうのは何故なんでしょうね?
 ――恋しい人を失って生きるのと、何もかも忘れてしまうのと……泡になって消えていくのと……一体どれが一番幸せなのかな……――」
 急激に眠りに堕ちていく俺へ、清樹はまるで子守歌のように話しつづけた。その中で、まるで夢の続きのような、物哀しく不思議なその話だけが奇妙に記憶に残っていた。



 ――朝起きると、清樹はどこにもいなくなっていた。
 そのすぐ後、俺は清樹が彼のアパートのみならず、学校の名簿や人々の記憶からさえもすっかり消えてしまったことに気づかされたのだった。

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