京都・嵯峨 薬師寺

薬師如来像と薬師如来縁起

薬師如来像

 平安時代初期の弘仁9年(819年)、世の中には悪病が蔓延し、庶民の苦しみは言語に絶するものでした。
 これを憂慮された嵯峨天皇は、弘法大師(空海)に薬師如来像の彫刻を直々にお命じになり、また、自らも般若心経を写経して病魔の退散と招福を祈念されました。
 そこで弘法大師は、高尾・神護寺において、一刀三礼して薬師如来像をお刻みになられ、その開眼供養を営まれたところ、たちまち霊験が顕れて万民は病の苦しみから救われたと言われています。(『薬師堂縁起』より)
 この像こそが、当山の御本尊である「心経秘鍵薬師如来像」です。
 当山は嵯峨天皇勅願の寺として大覚寺(嵯峨御所)の保護を受け、勅封の秘仏である薬師如来像をお祀りしてきました。勅封とは勅命(天皇の命令)によって封印されることをいい、御厨子の開閉は大覚寺の手で行われ、当山の住職は開くことも許されなかったと言われています。
 
 当山の第二代住職・真如親王の代には火災に遭いましたが、鎌倉時代に北条時頼の帰依によって復興し、時の高僧顕意上人を住職にお迎えしました。
 また、江戸時代初期の寛永年間にも再び火災に見舞われましたが、大覚寺の宮尊性親王によって再建されました。それが現在も残る当山の本堂です。
 明治時代に入るまでは大覚寺の下にあり、嵯峨御所御寺務所が置かれていましたが、明治時代以後は大覚寺を離れ、現在は浄土宗知恩院派に属しています。