フィルモア皇帝ダイ・グはこの日何度目かとなるため息をついた。
子供の頃から皇帝になるために教育されてきた彼にとって書類の山を目の前に積み上げられることなど日常茶飯事だ。それはたとえここが戦場のすぐ近くの街にある、借り切ったことを幸いとして執務室へと改造された部屋であっても、別段珍しいことではない。
だがかといってなれているとは言ってもそれが好きには繋がらない。また彼は皇帝であると同時に天位を持つ騎士でもあるが、かといって戦場で闘うのが好きというワケでもない。彼にとって書類の山をさばくことも戦場で闘うことも等しく義務でしかないのだ。
だがいくら嫌いで面倒だと言っても彼がそれをしなければ民達の生活が立ち行かなくなるとわかっている以上、今で本日連続書類確認が8時間めに突入していてもそれはやらねばならぬのだ。
だから固まりかけた身体をほぐす度に一旦伸びをし、ふたたびその手にサインをするためのペンを持ち、書類に挑みかけたそのとき、コンコンと2回、扉が小さく叩かれた。
「入れ」
そう指示しながら、そのことにこっそりため息をつく。また文官がやってきて目の前にある書類の山が高くされてしまうのか、とそう思ったからだ。
だがその予想は半分当たり、半分は外れた。
というのは、書類を手に入ってきた文官ではなく騎士───それも並みの騎士ではなく、この国ではほぼ唯一戦場で自分の隣に並び立つことができる、たった1人の騎士だったからだ。
「失礼します」
そう頭を深く下げ、それからカツカツと靴音を立てつつ近寄ってきたのは、燃えるような黄金の髪を持つ彼の代理騎士だった。本当は戦場を最も嫌う存在であるというのに、過去に犯した過ちのため、文字どうり死ぬまで戦場で闘い咲き続けなければならない美しき華───誰よりも彼が愛し、彼を愛する存在であるが、互いの内にあるその恋を決して他人に知られてはならぬ、彼の為に死ぬ華だ。
だからその予想外の人物に、ダイ・グは軽く目を見開く。何しろここは戦場のすぐ近くで戦争は停止状態なのだから彼女がここにいただとてまったく不思議ではないのだが、官房長官のミヤザなどその他大勢の重臣達は彼女と自分が接触させないようにいろいろ手を尽くしているのだ。だから彼女の方が自分に何か用があったとしてもそれはすべてトライトンなどを通じてでしかあがってこないことになっている。
それなのにどうして彼女がこの場に───それも扉の向こうには衛兵達が控えているが、正真正銘2人っきりになるような状態で会わせるようなことを許したのか、それがまったくわからない。こういう場合ただ素直に愛しい人と会えたと喜べばいいのだろうが、そう思うことが出来る程単純ではなく、またそうすればとんでもない目に合うことをダイ・グは過去の経験上熟知している。
そしてそれは事実であって、それはすぐに判明した。
「陛下、ミヤザ様からこの書類をお預かりしてまいりました。陛下におかれましてはすぐさまこの書面に目をとおされた後、御署名くださり、ご返却くださいますように、と御指示を受けております」
その言葉と共に差し出された少し大きめの封筒を受け取り、中を確認すべく目をとおす。
「────!」
かろうじて声は出さずに済んだが、その書面の内容とそしてそれに関連して他ならぬ彼女クリスティン・ビィが持ってくることによって発生する意図に、ダイ・グは計られた、とそう絶句した。
「陛下?」
だが書面の内容を知らぬ彼女にはどうしてダイ・グがそういう反応を見せたかわからない。
彼女としてみれば本当の意味での火急の用件なら自分などを通さずにミヤザ自体がダイ・グの元に書面を持って参上するに違いないから、重要は重要だが、それほど重要ではないとそう思っていたのだ。本当に重要なら汚れた騎士たる自分にそんなことを任せたりしない、という思いもある。
なのにそれほど多くの機会に恵まれていたわけではないが、彼女が仕えるたった1人の人であり、秘めたる想い人であるダイ・グが、どうしてこれほど厳しい表情を浮かべたのか想像することが出来なかったのだ。
だからそんな彼女の反応を受け、ダイ・グは1つの決断をした。
この書面を彼女に持たせた連中の意図は明らかであり、そして彼女もまた当事者だ。彼女の知らぬところで片付けられたらいいのだが、それは到底出来そうにもない。
それなら事実を明らかにし、彼女にもすべてを知らせ、そしてこれからに備えるべき───いや、備えなければならない。
だから広げた状態で、書面を彼女に向かって差し出す。
「これを見よ、ハイランダー。なかなかにおもしろいことが書いてある」
とりあえず受け取りつつ、クリスティンは微かに目を丸くする。
「陛下?」
だってだ、これまで険しい顔をしていた彼がいきなり思いっきり皮肉な様子でそんなことを言い出したのだ。だからそのワケを探る為にもクリスティンは受け取った書面に恐る恐る目を通した。
途端彼がそうあったように、彼女の顔も白くなる。
「これは────」
ダイ・グに結婚するように注進する内容の書面だった。もちろんその相手はクリスティンではない。皇帝に宛てフィルモアの中でも有力な貴族の令嬢の名が幾人か列ねており、その中から選べば間違いないと、そんな風に書かれてたのだ。
そのことが意図することはただ1つ。この書面が作られ、彼女の手によって運ばれ、そして彼女を通じて返答せよというのは、すべて2人の内に生じている禁断の想い───許されないとわかっていながら、互いだけを愛しく想うその心を今すぐ捨てよと、それを意図してのことだったのだ。
もちろん自分にしてもクリスティンにしてもこの恋が禁忌だということは熟知している。皇帝と民間人殺しの過去を持つ騎士が結ばれるなど叶わぬことは百どころか千も万も承知だ。
だがそれにしても残酷すぎる。自分はいい、自分にならいい。皇帝の身でありながらしてはいけないとわかっている恋をいまだ手放せず、きっと永遠に抱き続ける愚か者である自分なら責められても仕方はない。しかし彼女は───クリスはあらゆる意味で傷付き、これからもあらゆる意味で傷付いていかねばならないのだ。そんな彼女に自らの手でその内に芽生えた恋を終わらせるようにしむけるなどいくら何でもひどすぎる。
だからいくらなんでもなこの仕打ちに懸命に震えを抑えようとするが、それでも抑え切ることが適わず小さく震えているクリスティンに向かい、ダイ・グはこのように言葉を紡ぐ。
「事実余はまだ未熟な皇帝であるが、それでも玉座にある限りなさねばならぬそのことと為してはならぬことぐらいは承知しているつもりである。ゆえに今妃をめとってはならぬことくらいは重々承知だというに、それとも何か?ハイランダー。余はそれすらもわからぬほど、愚かと思われているのだろうか?」
「そんなっ!!」
その言葉にクリスティンはすかさず否定する。
「恐れながらわたしごときが申し上げることではございませんが、陛下は未熟などではありませんっ!!陛下が未熟であるというのなら、この世の何処にも熟した者などいないとわたしは考えます!」
「ハハッ!」
その言い様にダイ・グは笑った。
「常ながら、まことにそちはおもしろいな、ハイランダー。だがそれでは答えになってはおらぬぞ?余がそちに問うたのは余が愚かと思われているか否かだ。そちがどう思うてくれているかではない」
その叱責半分からかい半分の言葉に、クリスティンは泣きそうになる。
「はいっ、申し訳ございませんっ!!」
皇帝として平等を装いながらも、それでも汚れた身の自分を案じ、心を砕いてくれている彼に完璧な自分を差し出したいのに、シバレースとなる為にほとんど誰にも接触せずただひたすらに闘うことのみを教え込まれていた自分は、話術というものが苦手なのだ。特にこの人の前では緊張して頭に血がのぼり過ぎて自分が何を言っているのか判らなくなってしまうときもある。
だからそんな不出来な自分が情けなく、そして恥ずかしくてクリスティンは消えてしまいたかった。
しかし当然それは適わず、代わりに他ならぬ皇帝がこんなことを言い出した。
「まあよい。とにかくわかっておればいいのは、余はまだ妃をめとるつもりはなく、その余裕がないということのみである。ましてはここは戦場───命のやりとりをする場において、このような話をするは不遜。後日場所を改めて進言しろと、ミヤザに申し伝えてくれ」
そうしてその場でいったんクリスティンに手渡した書類を取り戻し、勢いよくまっ二つに引き裂いてしまった。
その言葉とその行動、そして何よりその両方の間中、重ねられ、そらされなかった瞳の強さにクリスティンは胸をつまらせる。
「陛下───」
だってだ、それは伝言のカタチをとってはいたが、明らかに自分に向けての言葉だったのだ。
おびえずとも、震えずとも、そうと言うわけにはいかないが、それでも自分の心は君だけにある───君さえ居てくれたらそれでいいと、ダイ・グは伝えてくれたのだ。
だから右手を胸に───心臓の真上に重ね合わせ、深く深く礼をした。この室内には2人きりしかいないが、何処に盗聴器や盗撮器が仕込まれているかわからない。だからその心をちゃんと受け取らせてもらったと───その心が嬉しいと、それを示すその為に、深く深く礼をした。
そして来た時同様にカツカツと靴音をならし、来た道を辿ろうと扉を開けたその時、そのクリスティンの背中にダイ・グの言葉が飛んだ。
「ハイランダー!」
「はい、陛下」
慌てて振り返り、直立不動の格好を取ると、ダイ・グは皇帝として当たり前のように、彼女に向かって命令した。
「今宵そちに伽の相手をすることを申し付ける。後で迎えを行かせるゆえ、その心づもりでいよ」
「えっ!!」
だがその言葉にクリスティンは飛び上がらんばかりに驚いた。
「『伽』?!、『伽』ですか?!」
「そうだ」
言葉としては知っているが、いきなり出てきたその言葉にクリスティンが慌てふためくと、ダイ・グはきっぱりとそう頷き、それからこう付け足した。
「ここは戦場ゆえ誰かに相手をさせようにも適当な者もおらず、また誰か適当に見繕えば、それが敵の送り込んできた刺客かもしれぬという恐れがあるからな。だがその点そちなら身元も出自も確かゆえ、余の寝首をかくことなどあるまい」
淡々と、あくまで仕方がないからといった風情のその言葉に、クリスティンは小さく目を見開く。
「陛下───」
胸が、とてもドキドキする。それこそ脳天まで血が沸騰し、頭がおかしくなりそうだった。
だって彼は───彼女が尊敬し、愛してやまない少年皇帝は、自分の身分とそれを取り巻く現実を逆手に取り、正々堂々自分と彼がむつみ合い、愛しあうための機会を用意してくれたのだ。
もちろんこんな手段、今回1回かぎりしか通用などしないだろう。けれどそれでも誰にはばかられることなく、彼の胸に飛び込んでいけるそのことがクリスティンには嬉しくて仕方がなかった。
しかし彼が彼女を選んだ理由が『仕方がないから』を装ったように、自分もまた人前では『仕方がない』を装わなくてはならない、皇帝の命だから、嫌々寵を受けるのだと。
ゆえにクリスティンは歓びを隠し、困惑と義務感をありったけ表に出しながら、小さく、深く頭を下げた。
「御意です、陛下。陛下の仰せに従います」
そうして後、身体を起こす動作の中の髪をかきあげる仕種の中で、彼から貰った十字のイヤリングにさり気なく触れ、それを小さく揺らしてみせる。誰も認めてくれなくても───自分自身が認められなくても、彼女を真実のフィルモア王妃に選んでくれた彼に、その歓びと忠誠を誓うその証として。
そしてそんなクリスティンの誓いに、ダイ・グはいつもの伶俐な表情のまま───けれどその瞳には満足げな感情を浮かべ、彼女を部屋から退出させた。皇帝の顔をしていたけれど、事実は彼女を愛するただの1人の、普通の男の気持ちと心で───。
THE END.
06年夏休み企画再録です。その時の後書きはこちら。。
ひそかにマイぶーむ『ファイブスター物語』のダイ・グ×クリスです。夏コミですばらしいダイクリ本に出会い、『やっていいのね!!』と勇気づけられた結果、ちこっと書いてみました。
悲恋確定のカプゆえに燃え上がる妄想。。基本正妻すきーな私ですので、まだ名も顔も知らぬ、いずれ登場するであろうダイ・グのお妃さまに同情しちゃったりもするのですが、それでもあまりに切なすぎて応援せずにはいられません。。ああっ、クリスもダイ・グもせつなすぎ、可哀相すぎっ!せめて『一夜』くらい仲良くできて、それで子供なんか出来ちゃったら素敵なのになぁ。。でもクリスって永野先生が悲劇の女騎士って公言してて、これ以後ますます悲劇が訪れるらしいからそう甘くはいかないんだろうな〜。。はぁ。。。
……という自己満足の作品ゆえに再アップするのをさしひかえてたのですが、私の悪い癖『コミケにいくとFSSが読みたくなる(&書きたくなる)』が06年の冬コミでぼっ発し、なので手直しいれて引っぱりだしてみました。やっぱりダイクリ大好きですvv
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